2013年ボランテイア体験にて   ダバオ市

 

僕は今幸せを感じています。

以前はなんのために生まれてきたのかとか生産性がない自分は死んだほうが良いのかと日々思っていました。

 

 

ひきこもりから出てフィリピンで支援を受け始めた時にも、幸せを感じた時がありました。

しかし、それ以降支援を受けていく中で、自分がいかに周りの人たちと比べて劣っているのかを知ることとなりました。

それは生きていても意味がないと思う感情を呼び起こしたのです。

 

 

1年、2年、3年と毎日朝から晩まで、同居するスタッフたちから徹底的に支援を受け続けても、できないことがやまほどあったのです。

特に、自分のおかしさを認識できないということが一番辛かったです。

 

 

自分の発言や行動が他の人に嫌な思いを抱かせてしまう。

そのことを僕が理解できない。

どんなに丁寧に説明してもらっても。

どんなに時間をかけて説明してもらっても。

あらゆる手段を講じて伝えようとしてもらっても僕には理解できなかった。

 

 

 

だからまた同じことを繰り返す。

その繰り返しなのです。

 

 

ただその時に一つ言われたことで今でも覚えていることがあります。

このようなケースで、スタッフの指摘が理解できないけれど、自分に問題があるということに気づく人と、社会や自分の周りにいる人に問題があって、自分には何も問題はないと思う人の二つがあって、東大さんは前者だから、必ずなんらかの成長は望めると思いますとスタッフに言われたのです。

 

 

最近になって、確かに自分は成長したということは支援を受け続ける中で、自分で感じてはいました。

最近では、支援をしてくれたスタッフからも成長したことを言われるのです。

 

 

理解できるまで気が遠くなるほど時間がかかったということ?

 

 

 

支援が終了して僕はこの団体と関係ないところで働くことに挑戦してみました。

半年近く働いてほとんどこの団体と関わらなくなったのです。

 

 

働いてみて、働くことができたこと。

仕事仲間との交流も問題なくできたこと。

それなりに楽しい日々を過ごすことができました。

 

 

仕事帰りに立ち寄るスーパーで半額の弁当を探したり、コンビニで晩酌の酒を探したり、

一人ではいった居酒屋でサラリーマンたちの愚痴を聞くともなく聞いたり。

 

 

初めての経験は、楽しいことばかりでした。

 

 

その時にはっと気づいたのです。

 

 

僕は大きく変わったんだって。

 

以前は服を変えなかった。

清潔ではなかった。

人と会ったら挨拶もしなかった。

 

 

そんな当たり前のことができるようになっていた。

もちろん依然として理解できないこともあります。

そんな時には、聞き返したり、手帳にメモをとったりすることで自分の助けとなるのです。

 

 

僕がフイリピンで支援を受け始めたのは 2013年の4月になります。

今年でフィリピン12年目になるのですか?

ヒロさんが確か12年ですかね。

 

 

僕やヒロさんの様なケースは特別だと思いたいです。

でもそれだけの時間がかかるのですね。

 

 

 

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