教え子を失う





しかも、命を奪われて

という経験をしたことがある。









ここ数日

何故こんなにも若い世代の死が、私自身に鈍痛を起こさせてしまうのか?



ボンヤリと考えていた時、ふと思い出した。
















教職を退き、何年か経った頃センセーショナルなニュースとして私はそれを知った。








驚きとショックの中でも

一際思い出されるのは彼女の屈託の無い笑顔だけで、暗黒時代だと思い込んでいた私の20代にも


輝きがあったことをはっきりと思い出させてくれた。








状況や立場を考えて

葬儀に参列することは諦めた。

会いたいくもない同僚もいたし
何より当時の自分が恥ずかしかった。













だけど、彼女の為に黄色い花を買った。













どのような御用途ですか?と花屋のおじさんに尋ねられた時


お持ちするわけではないのですが、亡くなった教え子のために、、、



と答えた時、本当は涙が出そうだったのに
グッと堪えて唇を噛んだ。








あの時泣いてしまえば良かったと今は思う。




















自分にも何かできることがあったのではないか??




そんな自惚れた気持ちなど微塵もない。




人にはきっと運命や宿命、寿命というものがある。















だけど私はずっと静かに自分を責め続けていたし
後悔していたのだ。








人生は確かに、いくらだってやり直すことができる。


全て自分次第だし、遅すぎるということはない。










だけど、1度しかチャンスが無いことだって確実にある。






告別式は2度とない。









私は良いように言い訳を重ねて
思考で答えを出し
つまらないプライドの為にそれを失ったことを悔やんでいたのだ。



その蓋が開いた今





やっとこの不自然なまでの痛みの意味がわかったような気がする










彼女も生きていれば30歳だった。












心の奥底にそっと沈めていた悲しすぎる事件と後悔の念。
一緒にその思い出まで見ないようにしてきた。









沢山笑ったこと
体育館でいつまでも恋バナしたこと
おぶって大笑いしながら保健室まで走ったこと
毎年バレンタインにチョコをくれたこと
甘えた喋り方にその笑顔、、、。














結局

後悔なんて感情は







やらなかったこと








にしか起こり得ないものだと心底思う。












それを胸に刻んで今を生きる。