東日本大地震から11年。
震災の当日、私は当時いた会社の仕事で舞浜のホテルの最上階にいました。
卒業式の学生さんの衣装(卒業袴)のお仕事で、着付け、ヘアメイク、写真スタジオを設置して運営。
大きな専門学校のグループの卒業式。
ヘアメイク会場の写真が残ってました。
支度を済ませた学生さんたちを卒業式の会場に送り出して、美容師やカメラマンたちは撤収。
私と上司の部長。
あとは契約してる着付け師さん20人ぐらいだけ。
お昼食べてゆっくりしてた頃に地震。
ホテルが倒壊するかと思った。
フロアの一部
しばらくすると館内放送で、ホテルは耐震構造だから大丈夫、その場に留まるように言われた。
窓から東京方面を見ると煙
またしばらくするとホテルの従業員が駆け登ってきて、階段で避難してください!って叫びました。
人をかき分けて我先に階段へ走る部長、、、
私はフロア奥の着付け会場へ行き、着付け師さんたちに避難するように伝えました。
着付け師のおばちゃんたちも我先に走る、、
私は最後に会場全てを見回りました。
そしたら一時的に戻ってきてた学生の女の子が一人取り残されてた。
その子の荷物を持って一緒に階段で避難しました。
外に出ると液状化
駐車場に車を停めてる人が大音量でラジオのニュースをかけてくれて、近くの人みんなで聞いた。
しばらくするとホテルのロビーが解放されて、ロビーのモニター全てをテレビのニュースに変えてくれた。
当時けっこう凄い津波の映像とかが生放送で流れましたよね。。
それから色々あって夕方になり、会社の車で来てた部長が帰ると言う。
電車は完全に止まってた。
会社が雇ってた着付け師さんたちが「私たちはどうしたらいいんですか?」と部長に詰め寄ると、部長は「自分達で何とかしてください!」と言い放って帰ってしまいました。
ホテルのレストランは宿泊者以外は利用できなくされたため、取り残された着付け師さんたちは食べ物に困ってしまいました。
私は自分の車で行ってたので、車を走らせて近くのコンビニを回って残ってる食べ物を買いました。
お菓子ぐらいしか買えなかったけど着付け師さんに渡して、すごく謝ってお別れしました。
私はそのままディズニーランドへ向かいました。
元ディズニーキャストだったので昔の仲間が心配だったんです。
こんな道を歩きながら
そのあとディズニーランドへ入ったのですが、震災当日のディズニーランドのことは今度書きます。
あの日は大変だったな。
帰りは運転しながら大泣きしたな。
色々思い出して買いてみました。