旅行中息子を連れて家族で祖父の墓参りに行ってきました。今回の旅はその目的も兼ねてました。


私の祖父は終戦の年の7月、日立の艦砲射撃で亡くなりました。若かりし祖父は当時日立製作所に勤めていた。

この陶輪碑に名前が載っています。

若い頃一度行きましたが、今回息子も連れて行ってみる。


以前行ったのはたぶん20年以上前。

高台の上にあり、街並みの先に日立の海を一望できる景色はそのまま。

ただお墓も住宅も増えて全然雰囲気が違う。

昔は車を中腹に停めて登って行った気がするけど、今は高い位置の駐車場に停めて緩やかに坂を下った場所に陶輪碑はありました。


若い頃私が父との関係を拗らせてた頃にパワーストーンを扱う麻美さんに「お祖父さんがあなたの事を心配して見守っているよ」と言われて、それを信じていました。


それもあって今回の訪問は祖父にひ孫を見せてあげられるという思いと、実際会いに来れたのと、命が紡がれて今こうしているんだなぁと少しウルウルしました。


父は兄と遠い昔にここに来て、さらに日立駅近くの踏切に立ち寄って次の話をしました。

当時10歳だった父は日立駅近くの踏切で祖父が仕事に行くのを見送り、それきり艦砲射撃で帰らぬ人となったと今回兄から聞きました。


初めて父に同情しました。

当たり前のように帰ってくると思っていた祖父が父が10歳という若い年齢の内に亡くなってしまった。

父は長男。4人兄弟の1番上。

長男のプレッシャーや苦労があったことでしょう。


かといって家庭を省みずに仕事に没頭して金銭感覚もなく経営能力もなく母に苦労をかけ借金を残して蒸発した事は容認はできないけど、拗らせてしまったんだろうな〜と思う。


13回忌も終えて、もう死んでまえば仏さんとも思っているけど、思い出すと時々心が揺れたりする。コミニケーションも大して取らなかった、別れて20年一度も会いに来なかった。子供なりに父の愛を感じられず私は寂しかったんだと思う。


晩年癌になってから昔の職場に会いに行ったそうですが私はもう職場を変わっていたし、今さら会ってもどう対応していいかわからず困るから会わなくてよかった。


危篤になって意識があるかないかの時に対面して恨みつらみを淡々と言ったけど、そうならなきゃ言えなかったな。


水星逆光で過去とも繋がれそうな今、久しぶりに昔の気持ちを出してみました。


祖父を思って父と兄で立ち寄った踏切(と思われる場所)に数十年して私と兄で立ち寄る。

なんか過去と未来が繋がるような不思議な感覚でした。

ナビで帰り道を探した時に通るにはありえない住宅砂利道の場所に入ってしまったので、〝もしかしたらこの辺りに住んでたのかもなぁ〟なんて勝手に推測してました。


日立の海は田舎に行くたびに電車から目にしていたのでとても落ち着きます。

今回祖父が過ごしてたであろう街に来れて墓参りと散策ができて本当に良かった。


じいじ孝行できたかな(^^)