おお、よくきたな。

 

「1」が並ぶとなにかツキがある気がします。

 

ロト6も 1,000円が当たったし、

なにかいい感じがします。

 

この暑さも 乗りきれそうな気がします。

 

藁をもすがる ってこういうことかね。

 

さて、

 

つらつら考えてみますと、

かつては 無口がもてたな。

 

特に男はそうですよ。

男のおしゃべりってのは軽蔑されていました。

おしゃべりなやつはきらいと言われたの。

 

たしかに、

 

わたしは、私的には、など、

自分を前にだす人がいるとウンザリします。


ひかえめ、朴訥、

それでいて細やかな気遣いとキレイな所作。

それが自分の表現として機能していましたね。

 

くらい ってのとは違うんだよねぇ。

存在感はあるんだけれど、でしゃばらない。

それでいて、ここぞという時に活躍する。

 

会話でも、BBQでも、遊びでも、仕事でも、

そういう人っていましたよね。

でも、今は違う意味で無口ね。

遊びも、仕事も、会話も、BBQも、

ここぞというときも なんもかんもスマホだから、

無口 ってぇか会話はない。

 

でもさ、無口だけど口は開いているんだよな。

 

口元のだらしなさは その人のすべてを表していますよ。

 

それでね、

 

会話もせず、周りを見ることもなく、

気遣い、気配りなど無縁で いつも自分の世界にいる。

だから、誰かと一緒にいることができないのかもしれない。

 

そして、本を読まないから たまに話しても話題も薄い。
だからお互い すぐに飽きるのかもしれない。

 

「無口」ひとつとっても

これだけ変わってきているわけで、

 

会話が苦手でもさ、本当の意味で存在感があれば、

苦手も有利に働く時代なんじゃないな。

 

そう、わかる人には 本当のあなたはわかるのよ。

 

だから、いちいちでしゃばる必要はないと思うよ。

 

今日のヒント:

 

会話が下手、無口、人見知り。

 

これでは婚活はうまくいかない と周りは言う。

 

でも、ここぞという時の存在感があればいいんじゃないの。

 

無口でも 気遣い、気配りがある。

 

所作がきれいで 礼儀作法を外さない。

 

そこんところを感じ取れる人と一緒にいたいよな。

 

だから、無理に話そうとしなくていい。

 

でも、話すときに必要な知識と知恵は身に着けておく。

 

そのためには、新聞を読む、読書をする が一番の近道。

 

デジタルじゃなくて、アナログなんだよね、キモは。