おお、よくきたな。

 

いよいよ開花宣言かな?

 

異常なくらい暖かくとも

やはり入学式に桜となるようにできているんですねぇ。

 

一年生には桜が似合います。

 

コロナもひと段落したので、

ステキな入学式を迎えてください。

 

さて、

 

前回 尺度 の話を書きましたが、

人により自分の中にある尺度(ものさし)は違います。

 

育ってきた環境や 今の環境により作られます。

普段 誰と一緒にいるか、誰と話しているかで作られます。

 

夢に大小はない と書いたのですが、

この尺度(ものさし)にも 大小は無いのです。

 

ただし、自分のそれを他人に押し付ける、

自分のものさしで他人を評価するから恥をかくのです。

この時 初めて大小が生まれちゃうんだなぁ。

大小と言うより 器の大きさとでも言うのだろうか。

 

会話の上手い人は 総じて謙虚であるのは、

この ものさし を理解し、

自分のそれを 常にアップデートしようとしているから。

 

他人の話から気付きを得て、

自分の思いや目標、夢を修正したり書き直したりして、

自分を高めていこう、楽しく生きようとしているからだね。

 

勝ち負けのあるスポーツは別ですけれど、

 

いつも人と比較をして、

あいつより勝ってる、あいつより上にいる なんて

そんなことばかり考えている奴は

自分より長じている人とは付き合わないし、

自分より長じている人は相手にしてくれないから、

 

結局のところ、 今より高みには行けない。

 

そのうち周りが かなりのスピードで変わっていくから、

どんどん取り残されていくのよ。

 

だから、自分が上にいられる輪を探すことになるんだねぇ。

したがって、初めはいいとしても、

時間が経てば、誰からも相手にされなくなる。

 

これね、会話の上手、下手 に関係ないことなんだけれど、

わかっていないで会話に加わるとこうなりやすいよ。

 

場所をわきまえない 自分自慢 自分示威 が、

いかにみっともないことで、嫌われるのか、

これ ポイントだよね。

 

今日のヒント:

 

夢に大小をつけて評価するやつは 器が小さいね。

 

本質 を見分けられないんだな。

 

他人の夢を応援できないし、かなえようともしない。

 

だから自分の夢もかなわないし、

 

かなえてくれる人にも出会えないの。

 

批評、批判が得意だから 会話の輪にも入れない。

 

自分より下だと勝手にそう思っている人達に、 

 

先輩面して自分で声をかけ、

 

半ば強制的に集めて会話の場をつくるしかできない。

 

自然に 自分の周りに人が集まることはないんだね。

 

そうなりたいのにそうなれないのは、

 

自分に気付きがないからです。