〜ミクロネシア連邦  ヤップ島〜
        2018年6月  15年振りの帰還

2018年6月
ミクロネシア連邦日本領事館大使と共に15年振りにミクロネシア連邦ヤップ島へ、、、

ここはかつて日本の統治下でした。
昭和時代には、銅を輸出し日本の硬貨に
使用されていたということはあまり知られていないですね。

私は大東亜戦争後初めて現地の方と正式に結婚した日本人であり、ヤップ島のタミール地区に初めて住んだ(長期に渡り)日本人です。
嘘だ、とおっしゃる方がいたとしたらその方事態が真実を知らない方であるのでしょう。。。

実際に私が体験した数々の不思議なお話を
お伝えいたします。

私は、ミクロネシア連邦のすべての島、パラオ、グアム、ハワイと自由に行き来して生活していました。

そして、すべての島で観光客や現地に住んでいるだけでは知ることが出来ないことを

とても深く現地の方と繋がるご縁を頂いた事で、
このお話をお伝え出来ることに感謝しております。

ヤップ島という名前を始めて聞いた!という方が多くいると思います。
太平洋に浮かぶ小さな島々…

グアムから飛行機で約1時間。
だいたい、グアムとパラオの中間に位置します。
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ミクロネシア連邦のうちの一つが
ヤップ島。4島と約130の環礁からなり、そのうち22島以外すべて無人島です。


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人口約一万人。
当時、島に住む日本人は私を含めて6人でした。

残念ながら、当時お世話になっていたアキラ先生はお亡くなりになっており、寂しくないようにと自宅に招いてくださって私の心の両親と慕っていたご婦人は日本へ帰っていらっしゃいました。。


何の予備知識なしで住むことになったヤップ島。
世界の秘境といわれるほど開発されておらず、
私の住んでいた集落は、電気、水道ガスはもちろんありませんでした。
女性は、ラバラバという腰巻で上半身が肌で過ごすことも今だ日常的でした。
子供は小学生までは学校から帰ってくるとフンドシ姿に戻ります(笑)

島古来から伝わる伝統文化を今も大切に守っているヤップ島。

石貨幣(今でいう仮想通貨の王道)
遠洋航海術(いわゆる  スター・ナビゲーション)が現在も継承されています。

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そう聞くと生活様式は?と気になりますよね。
ヤップ島は、他の南の島とは別格です。
古代へタイムスリップしてしまったようなイメージをもちつつ、車は走りインターネットも壊滅的な台風の後、ようやく携帯電話も持つようになりました。

本当に不思議な島ですが、
島のほとんどが、私有地で有です。
うかつに集落に入っていく事はトラブルになり、とても危険です。
冗談抜きで命の危険もあります。
ですが、私は、そこに入っていく事を許されていました。

そんな式たりを重んじている島で、
私の嫁いだ先のグランマーは、
ノニの実の祈祷師でした。

ノニの実は、怪我や病気等
様々なことに使われています。

毎日、グランマーのもとを訪ねて
治療をお願いしに人が来て笑顔いっぱい帰っていく光景は、今も鮮明に覚えています。

なぜ私が⁈と思うような様々な試練がありました。
そんな時、私は酋長から「何ひとつ文句を言わずによくやってきた、酋長会議に参加しなさい」とつげられました。
伝統を重んじるヤップ島‥とても外国人ではありえない出来事。
私を認めてくださりとても可愛がって頂きました。
辛いとは考えた事が有りませんでしたが、苦労した分、私は信頼を得る事が出来たのだと思います。

その酋長会議で不思議な予言を知ることになりました。

それは、タヒチからの使者が酋長会議に来たとき。

「白人の男がくる。」

「その男は富をもたらすから
受け入れなさい。。。」

とのお告げでした。

私は、酋長の隣で聞いていました。
その時は本当の意味が、よくわかりっていませんでした。

確かだったのは、
当時のタヒチがとても貧しく
子供にきちんとした教育を受けさせることが出来ていないという現実だけ。

♡♡。♡。♡♡。

そして、15年振りのヤップ島は、、、
自然にあふれさらに美しい島へと変わり
教育水準は高く、ゴミはゴミ箱へ捨てる
伝統を重んじ伝承していく。 

島の人達は、自分自身の魂に誇りを持ってます。

今回の目的でもある
『 ヤップホームカミングフェスティバル』
が開催されるようになっていました。

私が伝えていかなければいけない事、、、
たくさんあります。


大使もおっしゃっていましたが、
「正しい大東亜戦争を伝えていかなければならないこと」

私は日本人でありながら現地の人として生きていく事を選択された元日本兵の方との対話

ヤップ島にいたが自分は怪我で日本へ帰還、友をヤップ島で失った方の慰霊の旅を偶然にも案内し、涙で夕陽を拝んだ日。。。

まもなく、終戦の日を迎えます。。。

その使命を全うする為
今回はヤップ島へミクロネシア連邦日本領事館と同行させて頂きました。
仕事?仕事であるけど使命感があるタフな旅。



♡♡。♡。♡♡。

※日々の中で自分自身、自分の状況、他の人に対しても、良くない思いや言葉、それを思ったり言う事が怖くて抱かなくなりました。それがのちに自分に戻ってくると知ってしまったからです。
今の自分を慎み、心清らかに、おごらずに自分を問うため、心ならずとも傷つけてしまった人々に詫びる気持ちと共に神社へ通っています。自分自身が変わり少しでもお役にたてればと学ばせて頂いているご縁に感謝致しております。