輪違屋 | ある晴れた日の午後に

輪違屋

昨夜は知人からのお誘いで京都の島原にあるお茶屋の『輪違屋』さんに行ってきました。

 

夕方18時に島原大門前に集合です。

ここの近くには何度か訪れたことのあるすっぽん料理のまどか亭がありますが、輪違屋さんのことはその存在すら知りませんでした。

 

そもそもお茶屋って??

調べてみると、『花街で芸妓を呼んでお客に飲食させるお店とのこと』だそうです。なるほど。

で、今回は元禄元年(1688年)に京都島原に創業し、島原で唯一現存するお茶屋、輪違屋での宴席というわけです。

 

その宴席では如月太夫さんが、『かしの式』『茶の湯』『胡弓』『舞』などを順にご披露してくださるそうな。

 

きさらぎだゆう??太夫ってなに??

これも調べてみると、遊宴の席で場を盛り上げてるお仕事。舞妓さん、芸妓さんの最上位の位の方をさす名称のことで、様々な方法でお客をもてなす為に多くの知識や教養、芸事の嗜みが求められるそうです。当時のお客は公家や大名、旗本など上流階級で、天皇への謁見も許されるほどの位でした。太夫さんがお歯黒にするのは天皇に白い歯を見せるのは失礼との理由からだそうです。

 

そんな太夫さんが島原で唯一いらっしゃるのがこの輪違屋さんなんですって。島原で唯一ってことは必然的に日本で唯一ってことになりますね。

 

とまあ伺う前にこの程度の薄っぺらい情報を頭に入れておいたものの、『観覧謝絶』の札がかけられた玄関から一歩足を踏み入れるとその歴史感が漂う雰囲気に飲まれそう^^まずはお座敷に通されます。

 

やがて座敷の電燈が全て消され、ろうそく二本だけの灯りになリ、障子の向こうの廊下から鈴の音が。お~緊張する~(^▽^;)  

 

まずは禿(かむろ)と呼ばれる真っ赤な着物を着た小さな女の子が入ってきました。

 

続いて如月太夫が。始まりは、如月太夫の『かしの式』から。なんでも『かしの式』っていうのは太夫の顔見世、自己アピールのようなものなんですって。昔はお客が気に入った太夫を選ぶために何人も入れ替えて行われることもあったとか。

 

揺らめくろうそくの灯りに照らされる如月太夫の妖艶な姿・・・・・。

撮影OKは事前確認済みとはいえ、iphoneのシャッター音を消して出来るだけ雰囲気を壊さないようにと気を使いつつ。ただ薄暗くてクリアな写真は撮れませんでした(x_x;)

 

続いてお点前。ボク、お茶の経験全くないんでその所作がどうのっていうのはさっぱりです。

 

後で太夫さんに聞くと大ぶりな着物に負けないように、その所作は意識しても大きくしているんですって。

 

『胡弓』の演奏を始める前に衝立が立てられその向こうで何やら準備が。

 

胡弓の演奏が始まります。

 

基本的に弓は押したり引いたりするだけで、弾く弦を変えるときには胡弓自体の向きを動かすという特殊な弾き方ですね。それにしても太夫さん何でも出来るんですね。

 

『舞』

 

かしの式から舞まで一つ一つはさほど長い時間ではありませんが、シャッターを切るのを忘れるくらい、思わず惹きこまれました。

 

一通りご披露いただいたところで如月太夫さんと禿ちゃんと一緒に記念撮影です。本当はもう一人禿ちゃんがいるはずだったんですが出番前に化粧までしたけど着物を着るのが嫌でグズって出てこなかったみたい。まぁ幼い子供だからね^_^

 

そのあと太夫さんは一旦退席されて、ボクらは十代目ご当主自らの案内で館内の見学を。

 

面白おかしく始まった説明を聞きつつ2階へと上がります。

 

階段上の天井から吊り下げられたギヤマンのボール。

なんでも背後から襲ってくる敵の姿がそのボールに映ることで防御するためのものだとか。

 

『紅葉の間』

 

壁には本物の紅葉を使い型をとり、それに彩色したものとのこと。本物の紅葉が埋め込まれているように見えますね。壁は砂を使っていて今ではその砂が手に入らないため修復は出来ないそうです。

 

昔の太夫さんの衣装。

もう少し高級な物もあるらしいですが、英国の大英博物館に貸してるんですって。

 

『傘の間』

実際の太夫道中に使われる傘がふすまに貼り込まれています。『髙』の文字はご当主の高橋さんの『髙』だそうです。こちらの側だけでなくもう一面も同様の襖になっていて、全部で傘が4つあります。

 

傘の間の床の間にかけられているのは、西郷隆盛・大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれた桂小五郎(木戸孝允)の書だとか。

 

2階の見学を終え御座敷に戻ると宴席の用意が整えられていました。

 

そんな座敷の襖に貼られた太夫の手紙は恋文だそうです。

 

部屋の角に何気なく置かれた屏風に貼られた書も新撰組局長、近藤勇のものなんですって。

いろんな歴史上の有名な人物が登場するものの、その辺のことに全く造詣が深くないボクです(;^_^A

 

さて宴席が始まると、如月太夫さんが順に御酌をしてくれます。

 

今回のメンバーは20代から70代の職業や年齢もバラバラの老若男女総勢二十数名の集まりですが、それぞれに合わせて会話を盛り上げてくれます。胡弓の演奏の前に衝立を立てるのは何の為だったんですか?っていう、ボクのどうでもいいような質問にも、胡弓は下に出ている棒のようなものを足ではさんで演奏するので裾をまくったりする所作を隠すためどすって優しく教えてくれました^^

 

    

はじめは緊張気味だったボクらでしたが、如月太夫さんの凛とした気品の中にも親しみやすい雰囲気にすぐに場は和みあっという間に時間は過ぎて行きました。

 

途中お座敷の外に出ると、縁側越しに障子に映る影と宴席の賑やかな声が響く中庭。まるで時代劇のワンシーンを見ているようでした。

 

15歳でこの道を志したという如月太夫さん。たしかそのきっかけは太夫さんをTVで見たことだったとか。その後御縁があってこの輪違屋さんを紹介していただいて今に至っているそうです。宴席でお聞きしたことで間違ってたらごめんなさい(^▽^;) でもなんとも人生の機微というものを感じました。何百年も続く花街文化の数少ない継承者のお一人です。

 

写真を撮りまくっている無粋なボクらに、SNSにもどんどんアップしてくださいね!!と仰ってくれた言葉に甘え、こうして拙いブログを書かせていただいております。

 

如月太夫さんのかしの式から始まり宴席が終わるまで2時間半。

 

非日常の空気を味わった時間はあっという間に過ぎて行きました。

 

帰りはそれぞれ三々五々に解散し・・・

 

ボクらは酔い覚ましのお散歩がてら大宮通りまで歩くことに。

 

今日の宴席のお料理はこちらの乙文さんからの仕出しでしたね。

 

輪違屋にはご当主がBARを併設しているようで、今度はそちらにも行ってみたいと思います。一見さんはNGらしいですが名刺もお渡ししたし、次回は二見さんってことで大丈夫??・・・・まだ無理かな^^

その時は、まどか亭ですっぽんを食べてからにしようっと。

とっても貴重な経験をさせてもらった京都の夜でした。