ちょこっと高野山2015 ~④ 一乗院
高野山の宿泊は一乗院の宿坊です。
玄関で靴を脱いでげた箱へいれ、塗香を手に塗って清めてから中へと入ります。
正面には煌びやかな漆の屏風。
2004年に初めて来たときに宿泊して以来、高野山での定宿にさせていただいています。
その頃の宿坊はもっと部屋数も少なくお風呂も今よりも小さく、ちょうどその増築の工事をしていたような記憶がおぼろげに。
なんとも豪華な雰囲気の談話室や、
江戸期の狩野派の絵師が描いた襖絵などが見事なお部屋を拝見し、
こちらは大名などが宿泊したという部屋。
今回のお部屋は初めてのお部屋。本堂側に案内されました。
『菩提樹』。左手の障子戸は本堂の入り口です。
玄関を開けると白い壁の廊下。
突き当って右に曲がると正面にトイレと洗面所。
左側の障子を開けると襖絵に仕切られた部屋が二間。
こちらの襖絵も狩野派の絵師の手によるものとのこと。
奥の部屋の障子を開けるとそこには池のお庭が広がります。
今まで5回、いろんなタイプのお部屋に泊まりましたが、一番好きなお部屋かもしれません。
ところで一乗院に泊まる時は、いつもこたつがある季節のような気がするなぁ。振り返ると何故か秋から冬にかけて来ていることが多いみたいです。
部屋側から玄関を開けると右手が本堂の外廊下、つまり外ってことです。
まぁ離れだと考えたらなんともないですね。
本堂の外廊下から見た風景です。
中庭の池。左手の灯りの漏れている部屋が菩提樹のお部屋です。
ついでに初めて一乗院に泊まった時の部屋を見に。
この階段を上った左手の障子の部屋でしたね。たしか菊の間の方。
トイレも洗面所も共同で部屋と廊下は障子一枚で仕切られただけの宿坊感あふれるお部屋でした。
お風呂に入って部屋に戻るころには一乗院の境内にも灯りが燈され、そろそろ夕食の時間です。
高野山の宿坊のお食事はもちろん精進料理。給仕していただくのは修行僧の方たち。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151202/19/smile-zie/0e/da/j/o0520034613500558212.jpg?caw=800)
いつもはスタンダードのみですが、今回は+2,000円で松重にランクアップしてもらいました。
先付け~柿なます
平椀~ごま豆腐・岩茸・山葵
吸物~銀杏豆腐・京人参・貝割大根・平茸・黄柚子
飯~丸十飯蒸し・紫芋・黒胡麻
八寸~辛子蓮根・渋皮栗甘露煮・生麩白味噌射込み・蕪寿司・大徳寺納豆松葉刺し・季の物いろいろ。
蒸し物~蕪蒸し・丹波占地・銀杏・百合根・粟麩・紅葉麩・木耳・生山葵・吉野餡
油物~無花果の揚げ出し・紅葉・青唐・紅葉卸し・旨味出汁
強肴~フルーツトマトの蜜煮・レモン
お造り~小巻湯葉・あしらい一式・造り醤油
酢の物~焼き椎茸・水菜・坂本菊
水物~季節のデザート(大きな熟れ熟れトロトロの富有柿でした)
精進料理って野菜ばっかりで味気ないってイメージですが全くそんなことはなく、一品一品の調理法や味付けが工夫されとても美味しいお料理です。
宿坊という性格からお料理はほぼ一気出しで提供されますが、一品ずつ運ばれてきたらまさにお懐石料理みたいです。今回も大満足の美味しい精進料理、ごちそう様でした。
お寺の朝は早いですので夜は早々に床につきます。
さて翌日の朝・・・・
6時30分から本堂での勤行に参加しました。
以前は6時からだったようですが、あまり早いと宿泊者の参加が減るとの理由で30分繰り下げたそう。
本堂内には全員分の椅子も並べられています。昔は足の悪い方やお年寄りの分だけで、ボクらは30分以上正座して足が痺れて立てなかったこともありました。
おそらく外国の人が増えてきたのもその理由かもしれませんが、やっぱり朝の勤行だけは少しだけ厳しい環境の方がうれしいかな。
旅館のような快適空間で唯一お寺らしい体験の場所なんですから!!ってボクは思います。
今回はボクの両親とあっちゃんのお父さんの供養、そしてボクらの『家内安全』『商売繁盛』のご祈祷もお願いしました。
さて勤行を終えて部屋に戻ると朝食の用意がされています。
勤行のあと本堂内の仏様のお供え物の『がんも』をみてお腹が空いていたあっちゃんです。
さっそくいただきます。朝食でのお気に入りの定番は『がんも』なんですが・・・・
なんとこの日の朝食には『がんも』ではなく『ふろふき大根』が並んでおりました。
あっちゃん大ショック!!です。
まぁ、がんもはありませんでしたが美味しい精進料理の朝ご飯を頂戴いたしました。ごちそう様でした。
今回も一乗院での宿泊は食事も美味しくとても快適に過ごすことができて大変満足なものでした。
このあとは、昨日お休みだった麩善さんで麩饅頭を買って、もう一度壇上伽藍へと立ち寄ってから奈良の談山神社に行くつもりです。
昨日立ち寄りましたが定休日で買うことができなかった『麩善』さんへ。一乗院からはすぐそこです。
ところが!!なんと今日もお休みの札が~!!!定休日は昨日だけでしょ???
でも、ひとり女性の方が入っていったような・・・・
玄関前で、『今日もやってないんじゃない?それとももう少ししたら開くかなぁ?』なんて話していたら、先ほどの女性が玄関を開けて『冷凍なら売ってもらえるわよ』って声をかけてくれました。
その言葉に導かれ店内に入ります。その女性は予約されていたようで何箱も購入されていました。
きっとどこかのお寺の宿坊の方かもしれません。
そしてボクらも念願の生麩饅頭を手に入れることができました。
あの女性と同じタイミングで訪れなかったら買うことができなかったと思うと、ボクら導かれてるなぁ・・・ってありがたい気持ちになるボクとあっちゃんでした~ヾ(@^▽^@)ノ
さて昨日は仕事の電話がかかってきてゆっくりできなかった壇上伽藍に少しだけ立ち寄ってからお山を下りることにしました。中門の前の駐車場に車を停めて壇上伽藍へ。
中門には、平安時代松の永治元年(1141年)に持国天像と多聞天像が造られたとの記録があり、現存するのは江戸時代の文政2年(1819年)に造立された2体。
天保14年(1843年)の中門焼失時に救い出されましたが、今回の172年ぶりの中門再建に合わせ2体の修復とともに長らく失われていた広目天像、増長天像を造立することになったそうです。
門の外に向かっては、文政2年(1819年)に造立された持国天像(左)、そして右側が多聞天像(右)。
門をくぐって振り返ると今回新たに造立された増長天像(左)と広目天像(右)。
増長天の胸にはトンボ、広目天の胸にはセミがとまっています。
増長天が槍を持っているのは邪悪なものから守るため。その象徴として前にしか飛ばないトンボをあしらい『決して退却しない、という強い意志を示しています。
そして広目天は広く見渡すのが役目。どこまでも声が届くセミによって存在感を示し『すべてを見ている』ことを表現しているそうです。
六角経蔵をぐるりと一回り。経蔵の下部が回転式になっていますので取っ手を持って1回転すると一切経を一度読んだご利益があるんですって。
西塔の前から、孔雀堂、准胝堂、御影堂越しに見る根本大塔。
最後に金堂を拝観し、高野山をあとにします。
ボクらが山を下りた3日後、高野山に雪が積もったというニュースがテレビから流れていました。