あなたのスマイル咲かせます♪

笑顔に導く、ゆっきーです。

 

ブログを書く上で、必ず出てくる我が家の凸凹息子のこと。

基礎知識として書いておきますね。

 

2001年、広島市生まれ。

身長48センチ、体重3015グラムと決して大きくないサイズで出生。

完全母乳にこだわったわけではないが、ミルクを足す必要がなかったため、

母乳のみ。3ケ月健診で体重が8000グラムを超えていたため、小児科医から

「ミルクはやめましょう」と言われるも、母乳のみと伝えると、「じゃあそのままで」。

3ヶ月で寝がえり、5ヶ月でハイハイ、8ヶ月でつかまり立ちと伝い歩き、11ヶ月であんよ。

身体的発達は遅くはなく、離乳食も順調。

10ヶ月の時に突然自ら卒乳。(母は乳腺炎になって大変でした・・・)

成長曲線の上ぎりぎりでずっと成長。抱っこは辛い(笑)

町で行われた1歳半健診の時に、保健師さんから言葉の遅れを指摘。

息子の父親も3歳まで一言も喋らなかったと聞いていたので、特に心配もせず。

その場で保健師さんに「個人差あるでしょうが!」と言い放って終了。

電車が大好き、トムとジェリーが大好き、外遊びはあまり好きではない、インドアタイプに

成長。人見知りはほとんどせず、誰にでもにこにこ、喋りかける(ただし宇宙語)ので

かわいがられる。

2歳半で保育園に入れると、言葉が一気に増えたので、特に心配もしていなかったが、

年中の終わり頃、園長から、「授業中に座っていられない」「暴れることもある」と聞き、

当時勤めていた職場の同僚(アスペルガー症候群の息子さんがいる)に相談。

とりあえず療育センターに行ってみて、何もなければ安心できるよね、と助言をもらう。

意を決して療育センターへ。(確か3ヶ月待ちくらいでした)

その場では何もわからず(当たり前・・・)検査を受けて出た結果は・・・・

 

「重度の自閉症と軽度の知的遅滞」

 

診察の予約からこの診断が出るまでに5ヶ月。

そして、年長でこの診断が出たため、「なぜ今まで放置していた」と療育センターの主治医に

怒られる。入学までに療育は何もできないと。

小学校入学まで時間もなく、教育委員会の担当者と校長と話し合いの末、

本人が楽しく通学できるために、特別支援学級に入れることに。

息子小学1年生の秋、離婚。

息子の特性上転校などできないと考え、校区内での転居。条件狭めると探すの大変!

暴れても気兼ねのない戸建ての平屋(築47年…w)が見つかり、無事転居。

小学校中学年の頃には、荒れまくり、問題行動続出。上級生にけがなどさせたことも。

体が大きいのもあり、パニック状態ではおそろしく力が強いので、みんなお手上げ状態。

療育センターで相談するも、「様子見で」としか言われず、対策に困り、

特別支援級の担任の勧めもあって、県の療育センターに通い始める。

担当ドクターがとにかくいい先生。

ここでの診断は

 

「広汎性発達障害」

 

自閉傾向はあるが、重くはない。知的遅滞は軽度。

やり方によっては気にならない程度になるだろうとのこと。

全然違うじゃん!と思った母。成長して変わった可能性もあるけどね。

現状、とりあえず投薬も必要だろうとの判断で、ごくごく少量の投薬から始める。

その後は驚くほど落ち着き始める。特別支援学級ではリーダー格となり、

本人もその自覚が芽生える。数年で投薬治療終了。

中学校進学時、校区内の中学校に情緒の特別支援学級がないため、

校区外に通学かと思っていたが、友人(のちの夫)の尽力により、

校区内中学校に特別支援級新設。

希望の中学校に通い始める。

特別支援学級では定期テストがないため、いわゆる内申点がつかない。

そのため、高校受験はできないと中学1年1学期末の懇談時に聞かされる

(早く教えてよ!)。

親子して高校受験は諦める。

息子が中学2年の12月末、今の夫と再婚する。

再婚に伴い、転居、転校することに。

特別支援級の子の転校って結構大変です。

簡易的ではあるものの、知能テストを受けて、特別支援級がいいかどうかを判断。

息子の場合は、典型的な凸凹。できるところとできないところの差が激しい。

そのため、サポートが必要と判断され、特別支援級。

転校先の特別支援学級の担任が、これまたすごくいい先生。

普通学級でもいけると思うけど…とは言われたものの、

やはり、環境の変化があるので支援級。

諦めていた高校進学も、担任からは「私立なら間違いなく行けます」と言われ、

高校進学を考えられるようになりました。

3年生からは、普通学級に入り、高校進学への準備。

夏休みは、オープンスクールに行きまくり、情報収集。

おかげで、無事に私立高校へ推薦入学。

2年生からコース別に分かれ、情報系のコースだったため、同じように

ゲームなど好きな子も多く、やっと友達らしき存在も。

バイトは学校の許可が必要だったけど、担任も、「社会に出る練習になるから」

と推奨してくれ、即許可が下りる。

某ハンバーガー店でバイトを始める。(2022年現在も継続中)

 

ゲームを作る人になりたいと、高校入学時から専門学校進学希望。

オープンキャンパスに足しげく通い、志望校を決める。

大学の卒業資格もあると、将来就職に役立つかもと大学併修コースを選択。

 

そんな息子も現在21歳(2022年時)。

成人式にも参加。

(コロナの影響で延期となり、21歳になってからの成人式でした)

image

これは写真だけ和装w

七五三以来の写真館でしたwww

 

発達凸凹のお子さんを持つお母さん、きっと大変な毎日を過ごしておられますね。

私もそうでした。

大変すぎて、ほぼ記憶がないというw

でもね、成長と共に変化はあります。

我が家の息子も変化しました。

成長に伴う大変さももちろんあります。

 

そんな私の経験談であればお話しできます。

いつでも相談してくださいね。