砂肝の炒め物
息子は苦手かと思いきや、
「美味しい!」とバクバク食べてくれましたw
そっか、今日は久しぶりに唐揚げを作ってみるか。笑
こんにちわ
シフトの関係で有給でもなく久しぶりにお休みになりました。
最近は休みの日でも家にいることがなく、
突然火曜日が休みになったとわかった一昨日、
何をしようかとワクワクしていましたが、
気圧のせいか、なんだか身体がだるいな〜、
なんて思いながら、
ちょっと仕事も引きずっていてモヤモヤして、
資料や今までの反省などをまとめたくても、
夜に作業することが本当にできなくなっていて、
かといって朝起きたとて、
あくびばかり。
もう2度寝してしまおう
なんて朝ごはんを食べて布団に潜り込んだら、
目をつぶりながら、アイデアのような、
自分の中での「答え」のようなものが頭に浮かび、
飛び起きてデスクに向かいました。
資料作りにおおよそ2時間。
できたー!と思った時には、
エアコンのないデスクの部屋が、
ムッと暑くなりました。
そしてもう12時のお昼、
早いですねほんっとに時間が経つのが早い!!
息子はまだ部屋で寝ていて、
私はそんな息子と一緒に家に居たくないし、
近所のモールにパソコンを持って
今もう夕方になりつつあります。
会社への行き帰りや、
会社の人との何気ない会話、
などなど、
お酒の話がよくあります。
「スズメさんは飲まないの?」
ってよく聞かれるので、
「もう飲まないです」って笑って言えるようになりました。
同じく、「タバコは吸わないの?」って聞かれるので、
「昔はヘビースモーカーでした」って
笑って言えます。
去年の私ならそのことがすっごく苦痛でしょうがなかった
なんだろうこの気持ちは。
文字にするとスッキリするのかな、
飲める人が羨ましいとか、
私がアルコール依存症という病気、
そして長い長い断酒、
やめるのにかかった時間や苦悩のようなものを、
ないがしろにされているような気持ち、
否、飲む人はそもそもやめる気なんてないし、
自分をおかしいとも思わないのだから、
ないがしろにするも何も、
堂々と私に「人生損してる」って態度を取るのだろう。
ちょっと前まで、
彼らも限界が来るぞ。
(依存症予備軍だー)
なんてブラックスズメが
言っていましたが(笑)
もうそれすらも、
なんだか気にならなくなりました。
案の定、身体を壊されていたり、
目に輝きがなかったり、
昼間は明らかに楽しくなさそうだし、
体型が崩れている。
肌が荒れている。
必死に高い美容液や、
エステ、等々、お金をかけていたとしても、
お酒で全て崩れていく。
元気を出すために仕事中にエナジードリンクを
グビッと飲む姿をたくさん見ると、
そーか、そーなんだ。
大変だなあ。なんて思います。
健康とは、
身体だけでなく心も元気であること。
上辺だけの笑顔なんてすぐバレちゃうよ。
なんてうっすい目で「ははは、、、」と
私も愛想笑いをするようになりました。
そんな中、やっぱり私がそうだから、
「飲まない人」って尊敬するし、
話が弾むし、ちょっと信用できる。
この「ちょっと信用」も、
私は信じてしまいやすいので、
要注意だななんて思っています。
本日も、読んでくださり、
ありがとうございます。
好きなものを好きと言える幸せ。
のタイトルをつけたのは、
思い出すに私は、
好きな人に好きということが、
酔いを使わなければ言えなかったんだろうと
私の中にある「好き」は、
誰かに話すと必ず否定されてきました。
否定じゃなくて共感だったとしても、
別にそれに対して競争したいわけではないのに、
「私の方が知ってるし、私の方が好き」なんて
言われる経験が傷になっていました。
この2パターンだったんじゃないかな、
あれれ、もうひとパターンは、
無関心。これがまたひどい!笑
否定よりも競争よりも無関心が遥かに酷いかも。
いや、↑のように文字で並べると、
どれも酷い。笑
ちょっと私の好きを話すと、
・へえ、そうなんだ(他人事)
・私の方が知ってる(競争)
・なにそれ?(無関心)
・なにそれ?(バカにしている)
・えーーー、、!(ドン引き)
そうなると、もう傷になっちゃうんですね。
なってたんです。
だからもう誰にも話すもんか!って
意地になっていました。
一人で楽しんだ方がいいんじゃないか。
事実、一人でも十分楽しめる。
しかしながら、それがたまらなく
淋しいと思っていました。
でもその言葉が返ってくるのが怖くて、
誰にも言えない。
そんな日々だったんじゃないかな、
依存症で断酒して
自助グループに通うしかなかった日々も、
自分の話ができなかったのは、
そんな怖さがあったからだと思います。
私が話す言葉全てをジャッジされているような気持ち。
なにがしんどかったって、
それがしんどかったです。
お酒の力を借りてまで、
私は私の「好き」が言いたかったけれど、
お酒の力を借りたとて、
言えないまま死にかけてしまいました。
それから10年以上同じような否定してきた日々を過ごし
ようやく、
今があるわけですが、
それならその否定してきた10年の断酒はなんだったんだって
考えると、
多分その時には少しの効力があったと思うのですが、
印象に残っているのは、
「スズメさんはスズメさんのままでいいんです」とか、
「自分で自分を抱きしめてあげてください」とか、
うーん、今考えても、
それをしてどうなる?って思ってしまいます。
会社で出す資料のために、
私が本を読んでいると、
「本、好きなん?」って聞かれました。
ええ好きですよ
って答えると、
へえ。。。って顔されました。
読んでいた本のタイトルが?だったのか、
知らんけど、
なんだ?と思いました。
もう、恥ずかしがらなくてもいいんだ!笑
って思いました。
もう十分、恥の意識を味わってきたし、
それを誤魔化す必要も無い。
息子にもなにを言われようが、
「好きだが、それがなにか?」
と言えるようになりました。
(あいつも散々、私のことを
恥ずかしい!と言っていたな笑)
資料を作っていて、
私は私の好きについて、
恥ずかしがるんじゃなくて、
なんで好きか、どこが好きか、
どうやってこんなに好きになったのか、
を深掘りすることが大切だと思いました。
それを言語化や表現することで、
私のセンスのようなものが磨かれ、
そこから得られる共感のようなものが、
本当の幸せなんだと思いました。
さ、今日は熱々の唐揚げを
久しぶりに息子に食わせようか。笑
あなたにとって、
素晴らしい一日でありますように
今日一日、いま、ここ
どちらも快適な着心地‼️