昭和(情熱)と平成(冷静)のあいだ〜P.S.アイラブユー!!! | 大阪シラフストーリー♪ withスズメ

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「アルコール依存症」の診断を受けた2011年。あの日あの時あの場所で「診断」されなければ私はいつまでも見知らぬ酒飲みのまま死んでいました。回復への長い長い道のりと酔いを使わない生き方を心から楽しいと思える日々の記録をしていきます。


14日日曜日早朝の心斎橋。

静かで、「しん」としていました。


「えっと、私がこちらに来たのは、

何年でしたっけ?」

 

と、久しぶりに診察に行った心療内科の先生に

聞いてみました。

もう、そろそろ、この診察も最後だろう。

時間前に行って、診察室の前で待っていたら

先生が他の患者さんを呼び出された時に、

私をチラッとみたのが、印象的で。

 

前回診察に訪れたのは、去年の9月のことで、

すっかり忘れていたり、

なんとなくこのまま、、、って頭にあったり、

いやいや年末11月は、インフルエンザで大変だったりで、

なかなか行けずじまい。

 

「息子さんはどうですか?」

 

私「それが、、、。」と打ち明けてみると、

 

「まあでも、そんなことも含めて、

あなたが頑張ってきたからこそ乗り越えられたものでしょう」

 

とおっしゃってくださいました。

「ずいぶん、変わられました。別人かと」

と目を細めてくださいました。

 

本日も、読んでくださり、

ありがとうございます。

 

休みの日はほぼほぼジムにいます。

朝出かけて夕方帰る。仕事か!?ってくらいに、

いてます。

どこまでしたらいいのか、よくわからなくて、

ひたすら、身体を動かしていると、

なんだか、「楽しい」んです。

部活とかで鍛えられたストイックさが、

今になってやっと活かされているような感じです。

 

汗をかいて、筋肉を動かそうとすれば、

だいたいのストレスは解消されるんだな、なんて思っています。

 

「もう診察をやめましょうか?」と先生。

 

「先生とお話ししたいから、間を空けて」と私。

 

一番、しんどかった時、

先生は、「お願いだから死なないでください」と

おっしゃいました。

深く、悲しそうな目で私を見つめながら。

その先生は、どこかで見かけたのですが、

論文のようなものに「自死について」ということを

書かれておられたので、

ああそういうことか。と思っていました。

死にたくても、死ねない。

という時が一番辛いんじゃないかな、

死にたくない。でもなく、死んでしまう。でもない。

死にたいくらいの絶望。

私は親も早くに亡くなってしまったし、

なんなら母親、弟は自死でしたし、

父もアルコールで死んじゃったし、

なので、私がなんとなく自ら死を選ぶことは、

意地でもするもんか。なんて思っているから、

今があるのだとも思えます。

 

29年前のあの時、

私は酔っ払っていました。

このまま、死んでしまってもいいな、

ってずっと思って生きてきたんだな、

って思いました。

不謹慎かもしれませんが、

酒に酔う、酔い潰れて眠るまで。

って、絶望なんです。

やめたくてもやめられない。

このまま溶けてしまいたい。

でも目が覚めるとまだ吐き気のする私がいる。

そんなことから目を背けるためにまた酔う。

早く気を失うために度数の高いのを、

安いのを口に注ぎ込む。

味なんて関係ない。

 

 

1月1日の揺れを感じながら、

ああ、あの時と同じ感覚でいる。と思いました。

知ってる。本当に辛いのは、

無くした後、

それも、しばらくしてからでないと、

わかんないんだなと。

 

断酒をしていても、

長い間、死にたくなっていました。

生きていて何になる?

それでも生きなきゃならない。

うっすいうっすい希望を持ちながら、

ギリギリの線で生きている。

そんな感覚がまたよみがえりそうです。

 

たぶん私は、このまま心療内科に行くのを

やめると思います。

でも、何が起こるかわからないので、

行かないとは言い切れません。

なので曖昧にしておきます。

 

通い始めたのは、2014年なんだそうです。

へえ、もう10年か。

 

最近よく「意味ない」と言い切る息子に、

ラインで、

「意味ないは傷つきます」なんて送ったら、

顔を合わせた時に、

「昭和の世代のラインはなんで敬語なん?

家族やのに敬語っておかしない?

しかも「意味ない」で傷つくなんて、

こっちが傷つくわ

敬語で来るたびにこっちは恐怖を感じてるのに」

って言われました。

 

えーーー、っと。汗

美容室でこの「ライン敬語問題」を

ケラケラ話していたら、

「あー、ウチの親も敬語かも、

なんでやろ?って聞いてみよ」

ってペタペタヘア剤を塗りながら

考えておられました。

 

あ、そういえば、

家族で集まった時に、

いとこのお母さんといとことの

ラインのやり取りで謎だったのが、

ピーエス!よ!!!

あれって、今の子知らんのんちゃう?

 

って話で盛り上がりました。

私が敬語を使うのは、

たぶん手紙文化が浸透しているからだと

思うというと、

(そういえばインターネットがない時代、

伝言板とかあったよねって話も盛り上がりました

ポケベルとかね)

 

そっか、今の子は手紙も書かないし、

ストレートに言えるんだと

ハッとしましたが、

同時に、

それでええんか?とも思いました。

 

今度、息子さんとのラインで、

P.S.

って使ってみなよー!

って笑っていました。

 

今はわからなくても、

徐々にわかってくるんかな、

先生も、そうおっしゃっていたし。

そして、徐々に焦らずに伝えていきたい。

繰り返し、手を替え、品を変えて。

 

軽く「意味ない」なんて言わないで。

なんでそれで傷ついたかは、

ああ、私の問題なんだな、って

痛感しました。

否定されると、怖い。

そういう感覚が、いわゆるトラウマのように、

私の中に傷として存在するんだな。って思いました。

 

努力は無駄にはならない。

 

その言葉を信じてこれからも。

 

あなたにとって、

素晴らしい一日でありますように。キラキラ

 

今日一日、いま、ここ。合格

 

先生に教えてもらった本です。下差し照れ