2024年初発で乳がんステージ4診断。
【2024年1月4日】
左胸激痛で朝イチ受診。8割悪い方と言われる。
【2024年1月23日】
湿潤性乳管がん  ※炎症性乳がん
左胸、脇リンパ。右リンパ怪しい。要検査。
ステージ3B→転院  2月16日初診   検査開始。
【2024年3月1日診断】
左胸腫瘍、両脇リンパ転移 炎症右胸に拡がる。
ステージ4 ルミナールB  手術不適応
ER(+)PgR(+)HER2(1+)ki67(50)
【2024年3月15日】
ホルモン療法開始。リュープリン  11.25mg注射。
【2024年3月16日~】
レトロゾール  2.5mg 1日1錠 経口投与開始。 
【2024年3月29日の予定】
再診。追加でベージニオ 経口投与開始。
 
 

小さい頃の夢。
ケーキ屋さん、花屋さん
昭和の女の子は
そんなことを言うことが
多かったと思います。

でも私の夢は
旦那さんと子どもと食卓を囲んで
みんなで一緒にごはんを食べたり
子どもがスヤスヤ寝てるのを
見たりするような日常でした。

大人になって
自分が毒親である両親と同じように
子どもに接してしまうのではないか
そういう怖さがありました。


乳がん治療をするにあたって
女性ホルモンが今でもしっかり出ている
そう聞いたとき、昔のことを思い出しました。

結婚が遅かった私は
子どもがお腹の中で
うまく育たなかった事がありました。

悲しいと思う気持ちの中に
心のどこかでホッとした気持ちもありました。

そこからは一度も
子どもは出来ませんでした。

一家団欒と輪廻を立ちきること。
私には両立できませんでした。



私は社会人になってから
ずっと仕事をしています。

その中で仕事の技術を
教えていた時期があります。

長年勉強しにきていた人たちは
ある意味、私の子どものようなものです。

だから叱りもしたし
励ましもしたし
誉めたりもしたし。

その人たちに子どもが生まれたら
孫のような気もして
とても嬉しくなります。





がんになった方はわかると思いますが
告知されたのを誰に知らせるか悩みます。
そしていつ知らせるのか。

私はこの子どものような人たちに
ギリギリまで知らせない
そういう選択肢をもっていました。




でも私の生活が
ほぼ変わらないうちに知らせることで
各々の生活も変わりなく過ごせるのでは?
と考えなおしました。

こちらの身勝手かも知れません。
でも気持ちの負担が一度にかかるより
分散された方が消化しやすいのでは?
そう思い、動画を撮って
一斉に見てもらうようにしました。




この前、連絡したうちの1人が
遊びにきてくれました。

12年前からの付き合いだと言われ 
そんなに長かったんだと思いました。
でも相変わらずな性格ですが(笑)。

私は子どもを産むことは出来ませんでしたが
笑いながら食卓を囲める
子どものような存在がたくさんいます。

主人がいて子どものような存在がいる。

立ち位置は違ってますが
夢は叶ってるのかも知れません。