2024年1月は胸の激痛で幕開け。

初発で乳がんステージⅣ診断されました。

 

【2024年3月1日診断】
湿潤性乳管がん(炎症性乳がん)

ステージ4 ルミナールB  

ER(+)PgR(+)HER2(1+)

左胸腫瘍、左右リンパにがん細胞あり

炎症がひどく右胸に拡がりつつある

 

現状、手術適応外 根治は難しい

投薬で共存(延命)していく方針

 

 
 

 

私はホルモン感受性陽性乳がんというタイプで
ルミナールBという進行性乳がんです。

 

私の状況(ステージ4の軽い乳がん)の余命は

一般的に5~6年と言われることが

多い(中央値)そうです。


でも私については

本当にわからないそうですびっくり

PET検査がどうでるか・・・です。

 

 

 

 

この乳がんを私なりの解釈すると

 

 

 


↑ がん細胞が入っている箱がある。
  普段はしまったまま。

 


↑ 女性ホルモンは箱の鍵。
  鍵たくさんみつけたから開けちゃおう!

 

↑ わーい、これで自由に動けるぞ!

  とがん細胞が体で増殖する。

 

 

 

 

 

更に炎症性乳がんという診断もされていて

箱をあけた後の勢いがすごく

とても進行が早いがんです。

 

炎症がなければステージもⅣでは

なかったようです。

 

この炎症がなければ・・・

 

と思ったことが何度もあります。

 

 

 


 

 

幼少期を振り返ると

炎症とは生まれてからずっと

付き合ってきたと思います。

 

私が生まれる前の年。

東京は光化学スモッグが初めて起こりました。

 

 

 

 

今はたまに光化学スモッグが発令されますが

私が物心ついた時は毎日です。

 

↓ 当時の東京の写真が掲載されていたので

        シェアします。信じられないと思いますが

        本当にこの状態でした。

 

 

私が住んでいたところは高度経済成長で
粉塵のすごいトラックが

24時間走る幹線道路沿い。
シェアした目白通りとほぼ同じです。

 

空はいつもグレーがかっていました。

真っ白いレースカーテンが

1週間でグレーを通り越した

真っ黒になるようなところです。

 

鼻をかめば、ティッシュは黒い鼻水。

 

光化学スモッグが出ていようが

 
 

体育は外で実施。

体育の後、顔はざらざらしていました。

いつも目はチカチカして頭痛もする

それが当たり前でした。

 

それでも大学くらいには
トラックは少なくなりました。

 

ちょうどその頃、絶対引っ越さない

と言っていた親が

急に引っ越しを決め転居しました。

 

引っ越した先で

 

「東京なのに空が青く、鼻をかんでも黒くない」

 

と思った記憶があります。

 

幼少期の環境が悪かった。

おそらくこれが私の元凶です。

 

 

当時は花粉症という言葉もありませんでしたが

小学生で鼻炎持ちになるのは当たり前。

同級生にはぜんそく持ちの子もいました。

 

ということで50年弱、鼻炎を持っています。

 

ずっと皮膚がかゆくなったり

歯ぐきが腫れたり

喉が腫れたり

1ヶ月に1度は熱がでたり・・・

いわゆる炎症反応が

体をずっと賑わせていました。

 

 

 

 

 

慢性炎症とは、本来一過性で治まるはずの

炎症反応が低レベルではあるものの

長期間持続して慢性化した状態を指します。

このダラダラとくすぶるような

炎症状態が持続すると

生体組織の機能や構造に異常が生じて

さまざまな疾患の原因になることが

知られています。

とくに、非感染性疾患と総称される生活習慣病や

がんなどを引き起こす要因として

慢性炎症が注目されています。

↓ 

 

 

 

 

この幼少期の環境から

ずっと体でくすぶってきた炎症が

慢性炎症ということなら、頷けます。

 

 

1月の組織診激痛は慢性炎症がある体だから
起きたのではないかと考えています。

 

 

皮肉なことに組織診の激痛から食事改善をし

歯ぐきの腫れは一度も起こっておらず

通常なら1月からグスグスしていた花粉症も

今年は花粉がピークと言われた3月頭まで

症状がほぼ出ませんでした。

 

 

一般的な乳がんの食事指導で言われることを

炎症性乳がんの私がやると炎症がひどくなる

のも理解しました。

 

まんべんなく適度に食べる。

 

それが乳がんの食事指導で

一般的な健康な食事です。

 

まんべんなく食べても

食べ物を選ばないと胸が激痛。

 

ここでも標準から外れているようです。

 

それでも2ヶ月食事改善してきて

外食でもうまく選べば

楽しくおいしく食べる時間も

出来ています。

 

気のもちようですね。

 

あくまでも

私の憶測でしかありませんが

こういう症例がヒントになり研究が進んだら

未来の乳がん治療の幅が拡がるかも知れません。

 

 

 

今日は3月11日。
13年前は本当にいろいろなことがありました。
それでも時間が経ち、希望が少しずつ増えてきた

そんな年月だったと思います。

 

 

今、頑張っている人の希望が増えますように。