3歳から9歳まで、インドネシアの気候と環境に育まれた私。


遊ぶ、寝る、食べる、走り回る、泳ぐ、時々勉強。


難しい年頃になる小学3年生の途中から、

大都会 東京 渋谷に住むことになった。


このときから、私の性格が曲がり、自分でいられなくなったとわかったのは、つい二年前のこと。


自然豊かな、真っ黒で、木登りやヤシの木、バナナの木、カエルと泳ぐ。

家にはヤモリやヘビがやってくる。

いつも暑く、時にはスコール。

その後の晴れ間に出る七色の虹。

大好きなお手伝いさんに、トラックのフルーツ屋さん。

優しく穏やかなインドネシアの人達。


全てが消えた。


私の場所は、誰も知らない。

文化や慣習や暗黙の了解や空気を読むことも知らない。


当時は帰国子女は、アメリカやヨーロッパなら

受け入れられる。

しかも、とても珍しい。


インドネシア。。なにそれ。

それだけで、スタートから意地悪される的。


誰一人、私を受け入れる人は転校したクラスにはいなかった。


初日の挨拶から冷ややかな視線が集中したのを、いまでも、はっきり覚えてる。