小学校。

転勤ファミリーが家族と生活するための社宅。

車で行く現地のスーパー。

父と行く映画館。

私が見てた世界や景色はその範囲でした。


だから、現地の街を歩いたり、交流したりは無かった。

幼いから、両親の手の中にいたんだと思います。


とはいえ、社宅内の敷地は広く。

学校から帰宅したら、日が暮れるまで外遊びに

プール。

子供たち同士で世界があった。

女子男子、年齢様々。

皆で一緒。

ゲームもテレビも必要ない。

集団を学び、上の年齢がボスになり、まとめる。

喧嘩もある。

泣きながら家に駆け込むことも。


親たちは、親のコミュニティがあり、子供たちは監視されない。


学校も、伸び伸び自由な校風。

広い敷地に日本人ばかり。

何を勉強したか覚えてない。

ただ、嫌な思いはしなかった。

素晴らしく優しい先生方にお友達がそこにはいた。


そんな世界の仲間たちは

時期が来ると、帰国していくから。

一緒に過ごす期間は数年。

私は六年間でした。


いま思い出しても、楽しいという記憶しか蘇らない。


私は私のままでいられたのは、日本に帰国する前のインドネシア時代だったと思う。


在住中には、観光や他国にも、両親に連れていってもらった。


写真をみないと記憶がたどれないが、あちこち行ったみたい。


覚えてるのは、


日本に帰国したくなかった気持ち。


それは、帰国後に現実となり。

そこからつい最近まで、私は人が怖く

行きにくくなりました。


それでも、インドネシア時代は私には宝。