この記事を読んで、涙が出ます。

私は何を感じて涙を流したのか?



私の涙の理由は、たぶん2つ。



ひとつめ。

ゆきちゃんみたいにもう母と話せない
もう母の言葉を聞くことは出来ない
母に会いたくても会えない
抱きしめてもらいたくてももういない



寂しい、悲しいって感情の涙



母が亡くなった時、妹と一緒に泣きました
でも、喪主の私は泣くことをやめました


しっかり喪主を務めなければ!
来てくれた方へちゃんとお礼を言わなくては!
いつまでも泣いてたら母が心配する!
だからお姉ちゃんはしっかりしないと!
妹を守らないと!


だから、笑ってたような気がします
笑ってみなさんに挨拶をしたような気がします


お葬式が終わり数日経って
どれ位泣いたかはもう覚えていません


でも、今思えばその寂しさや、悲しみを
もっと、もっと感じて
飽きるまで感じきってあげられたら良かったのかも





ふたつめ。


私は母から愛されていた
たくさんの愛をもらっていた
最後の最後まで母は大きな愛で私と妹を愛してた
どんな私でも私は愛されていた



母の愛情を感じて出る涙



母の最後
もう会話をすることはできず
酸素マスクを付けて
意識も朦朧としていた

ただ、私たちの声は聞こえていて
私たちは母への感謝、母への愛を何度も伝えた
『ありがとう』『大好きだょ』と…何度も

母は話せなかったけど
静かに涙を流していた


呼吸も浅くなり
担当の先生が来て
母の手を握り
話せない母と心で話してくれた
私たちには聞こえない心での会話




しばらくして母は安らかに息を引き取った
息を引き取ったのがわからないほど静かに
そして、笑顔で




その後、先生から
最後の母との会話を教えてもらった



『なんで楽になれないの?もう楽になっていいんだよ。ここまでよく頑張った。』




『…2人の娘のことが心配…』




『2人の娘さんはしっかりしてるし大丈夫。安心して大丈夫。』




『…………』



これが最後の母の言葉






母は私たちに、病院のベッドの上でよく言っていた

『あんたたち2人のことはなにも心配してないのょ!おとめちゃん(わんこ)の事が心配!!』




おとめちゃんが心配と言ってた母が
最後に娘2人が心配で逝けないと言った





その時は純粋に悲しい気待ちしかなかったけど

今考えてみると、母は私たちのことを最後まで
全身全霊で愛してくれていたって思う


いつでも愛してくれてた
大きな愛で包んでくれていた




母からのたくさんの愛を感じる
私は愛されてたと感じる




もぅ、涙が止まらない(電車でブログを書いてます 笑




いままで、母の話を誰かにしても
涙なんてほとんど出なかった
悲しみや寂しさと向き合ってなかったんだなと思う

いま、ゆきちゃんのブログから
過去に置いてきた気持ちに気づいて
ちゃんと向き合おうと思う


感情がわかりにくくなっていた私だけど
心屋と出会い
少しずつ感情が出てきた事が嬉しい
どんだけ自分の感情を無視してきたんだろう



今度こそ、ちゃんと過去の自分を抱きしめてあげよう