家に帰ったら高校の定期通信みたいな手紙が来てた。
来年、平成21年をもって私たちの思い出がたくさん詰まった高校が
ついに中高一貫教育へと移行し、名前が変わってしまうらしい。
とってもさみしくなった。
私の育った学び舎が変わってゆく。
でも形が変わっても変わらないものを私は知っている。
私とC-FONが入学したのは学校新設8年目の春だった。
あれから17年。
あの春の中庭で出会ったころははまさか32歳を迎える今、
C-FONとこんなに深い友情を続けられているとは考えてもなかった。
もちろんそんなC-FONの親友のminaちゃんと仲良くなってるなんて
想像もしていなかった…というより出来るわけがない。
C-FONの職場の仲間とバレーやゴルフをするとも思ってなかったし
もちろん好きな人ができるとも思ってなかった。
時がたつのは本当に早いと感じるけれど
その中で出会ったものや培ったものはどれだけ大きいものなのか。
今日、その手紙を見て改めて思った。
高校時代、本当にバレーに明け暮れた日々だった。
休みは週1。
でもカラオケも行ったし、モスバーガーにもよく行ったし
町田のパフェもよく食べに行ってた。
あんなにつらくて泣きそうな部活中心の日々だったのに
高校時代の思い出はいつでも輝いている。
C-FONが好きだった人、marunが好きだった人、私が好きだった人
それぞれがどんな風にその人を好きだったとか
ぜんぶ昨日のことのように覚えてる。(私の一人は除いてね…)
文化祭や体育祭にどれだけの情熱を注いだか…。
本当に素敵な高校時代を過ごせたと心から思う。
でもやっぱりそこで得た1番の宝物は2人の親友なんだなって思う。
8人もいたバレー部の中でなぜこの3人が今でも仲がいいのか、
なぜこの3人が意気投合したのか、
きっかけなんてあったのか、そんなことは全く覚えていない。
ただ気がついたら3人で仲が良かったんだ。
高校の時も大学の時も、就職してからも。
時々会う回数が減ってた時期もあったけれど結局はここ。
何度、同じような独りよがりな弱音を吐いても励ましてくれたり
自分のことのように私のことを心配してくれたり…。
ああ、私はとっても幸せです。
私は今日、またもやスーパーネガティブな自分を出しました。
ついでに涙も。
自分に呆れてしまいます。
でも本当に思うのです。
人は誰でも人に好きと言われたらうれしいだろうと。
でも私が好きになった人は私に好きになられたことをうれしいと思ってくれるのか?
これはいつの頃からか私の中に芽生えた感情。
特に何があったわけではないし、誰かに何かを言われたわけでもない。
でも気がついた時にはこういう感情が生まれてました。
きっと、自分で1歩を踏み出さないと何も変わらない。
痛いほど分かっています。
でも結局相手にどういう風に思われるのか、
それを気にしすぎて1歩が踏み出せなくなるのです。
人の目を気にしてるあまりの結果がこれです。
裸の王様…だね。
自分の意思を、自分の気持ちをもっと自分が理解しないと
この先は何の輝きもない17年になってしまう。
せっかくの素敵な過去17年に完全に負けてしまう。
17年後、49歳。
半世紀、1歩手前。
今日の私、いったいどうした?
秋だからちょっとセンチな気分になってるみたいです。
ではおやすみなさい。