私には3歳年下の弟がいます。
小さいときはとても仲が良くて私の後ろをいつもついてきていた
そんな弟でした。
本当に気が弱くて、小さい時から要領が悪くて
いっつも親に怒られてた。
私とは正反対の性格。
それでも一緒に遊んだり、親の誕生日の企画をしたりって
仲の良い兄弟だったことは間違いない。
要領の悪さは小学校に入ってからますます浮き彫りになってきた。
先生から、弟が悪いわけじゃないのに怒られたり。
そんなことで怒らなくたっていいじゃんっていう理由で怒られたり。
私が職員室に行けば「お姉ちゃんはこんなにいい子なのに弟はねぇ」って。
そのたびごとに泣きたい気持をこらえて先生にそんなことはないって
言ってやったこともあった。
それでも弟には仲の良い友達がいて不安はなかった。
家族だって決して仲が悪いわけじゃなかった。
むしろ良かったほうだと思う。
私が中学に入るタイミングで今の家に引っ越してきた。
厳格で、まさに明治が産んだかたいおじいちゃんとの同居。
なにかあれば弟にあととりなんだからって言ってた。
私には注意しないことも弟にはものすごい見幕で怒ってた。
それもあって弟はおじいちゃんのことが大嫌いになった。
お父さんもどちらかと言えばおじいちゃん似。
一見自由奔放な親に見えるけどすごく厳しかった。
私は要領がいいからそんな2人をうまいことかわしていたつもりだった。
でも実際は私にはあまかったんだよね。
引っ越してきてすぐに弟は登校拒否を始めた。
毎日泣きながら力づくで学校に行かされてた。
それでも動かなくて学校に行かなかった日も多かった。
不思議なことにそんな弟だったけど友達はいたんだよね。
私が言うのも変だけどいたって普通の、私も友達になれそうな。
泣きながら学校に行く弟を見てかわいそうだとも思ったし
あきれてた私もいた。
もっとうまくやればいいのにって。
弟の登校拒否は中学になってもかわらなかった。
それでも野球部にはいって、補欠だったけど毎日家で練習して。
私は小学生の時から当り前のようにレギュラーだったし
補欠なのにがんばる弟の姿をみてえらいなって思った。
3歳年下だから中学の先生は私と多くがかぶってた。
私は中学でも要領良く、目立つ役割たくさんやってたこともあって
来年は私の弟が入ってくるってことで先生たちもすっごく楽しみにしてた。
でも実際は姉とはまったくタイプの違う弟。
高校に入ってたまに遊びに行ってたけど先生たちもびっくりしてた。
中2くらいからかな。
あんなに練習してた野球もあまりしなくなって学校に行かなくなった。
煙草をすって家じゅうが煙くさくなったこともあった。
家の壁にたくさん穴があいた。
かと思えば突然呼吸困難みたいになって救急車で運ばれたり。
あのころは毎日が弟の騒ぐ声と、お母さんの泣く声。
お父さんのしかる声。
すっごく嫌で私は聞かないふり…してた。
実際毎日部活で遅かったし、かかわらないようにしてた。
なんでだろう。
どうやって弟にかかわっていいか分からなくなってきたころだった。
その後中学にまともに通わなくなった弟。
毎日家にいたかな。
卒業式もいかず結局家出した。
1年後。
急に高校へ行くって言い始めた。
家に戻ってきた。
親へ申し訳ない、って大人になったのかなって少し嬉しかった。
私大学2年。
来年の受験に向けて私なりにがんばって勉強を教えた。
苦手な数学もがんばったよ。
仲が良かった最後の記憶だな。
その甲斐あって偏差値は低い学校だったけど無事高校入学。
最初は楽しそうに通ってた。
結局弟より1歳年下の子たちと同級生になった弟。
兄のように慕われて、一瞬だったけど我が家にほっとした空気が流れた。
でも長くは続かず。
1年で退学。
お父さんと大ゲンカ、初めて弟がお父さんに手を挙げた。
お父さんはじっと我慢して胸ぐらをつかまれてた。
さすがにそれを見たときは泣いて止めに入った。
こわかったし、悲しかったし、どうしていいかわからなかった。
2度目の家出。
家出前日、弟に私の嫌いな点をさんざん述べられた。
ショックだったな。
そんなに私のこと嫌いだったんだって。
そんなに嫌われてるなんて思ってもみなかったから。
弟にとっておじいちゃんとお父さん、私は同じらしい。
そのころから私はだんだん弟を弟として認識しなくなってきた。
あんなに仲良かった兄弟だったけど、友達の前で弟の話をすることは
ほとんどなくなった。
明るく元気で通ってる自分にそんな弟がいるなんて
しられたくなかったんだと思う。
さいてーだね、私。
そこら辺からはいつ何をしゃべったかほとんど記憶にない。
おじいちゃんがなくなった時もいなかったし。
しばらくその事実すら知らなかったと思う。
でもおじいちゃんは弟のことすっごく気にしてたな。
弱ってきたおじいちゃんには昔のような怖さは全くなく
とっても弱弱しくなっていて…。
たぶん弟に厳しくしたこと、気にしてたんだと思う。
さすがに弟もお母さんには申し訳ないって思ってたらしく。
年に数回無事を電話で伝えてた。
そのほとんどが海外でなぞな仕事についていた。
自分の足でしっかりいきてるならいいやって思ってたくらいで
それ以上のことは思ってなかった。
そんな弟と数年前、和解の時期が訪れた。
お父さんと正面から向き合ってお互いに納得。
その時は私も弟がようやくわかってくれたんだってただ嬉しかった。
数年ぶりの家族の再会。
中華街で4人でご飯を食べて、久々すぎて照れたけど嬉しかった。
その後弟は実家にもどりしばらく平穏な日々が続いた。
あー。兄弟ってこういう感じなんだ…みたいな。
でも長くはつづかなかったよ。
発端は私。
私の一言で弟がめっちゃ切れた。
そのまま家出。
でも気がおさまらなかった弟は外から電話を私宛に電話をかけてきた。
電話で私のことをいかに嫌いかを述べて電話を切られた。
以来、音信不通。
ある日、弟が住んでいたというアパートから電話。
なにかを頼りにうちの電話番号に到達したらしいんだけど
大家さんが部屋を見に行ったら、家財道具はそのままあるけど
しばらく姿が見えない。
鍵もあいてるって。
何かの事件に巻き込まれたのではないかって。
さすがに心配したよね。
数ヵ月後に無事が確認できてひと安心。
でもそれまで私の中で弟の存在をわすれるほどのことになってた。
ある意味自分にショックだった。
っていうか思い出さないようにしてたんだと思う。
で、ここ最近。
さすがに29歳になった弟。
家出しては戻って、また家出して。
そんな情けない自分に反省し、また両親との確執を打破しようと
親とコンタクトをとり、どうやら分かり合えたらしい。
でも、私とは?
弟は私とのことどう思ってるんだろ。
親がどんなに弟の話をしても、私は耳を傾けることもなくなってた。
意地なのか、なんなのか。
弟に関しての思いは複雑としか言いようがない。
そんなまだまだ不安定な時期に、弟が帰ってきた。
まさに昨日。
どうしていいか分からない。
そんな思いから、目を見れない。
私の複雑な思いを知ったお母さんがそれを伝えたみたい。
今、帰ってきたら弟が話そうって。
でも私には心の準備ができていない。
そのことを伝えると話す時間がないんじゃないかって思った弟は
事前に私のPCにメールを送ったらしく、読んでって。
情けないけど…期待した。
大人になった弟。
実際意地をはってるのはお互い様かもしれないしって。
で、今、それを読んで大泣き。
どこにこの気持ちをぶつけていいかわからなくってこんなに長い文章をかいてる。
そこには私が発端で家出をした時のことが書いてあった。
自分の意見を押し通す私とはもう分かり合えないとあきらめた。
この先深くかかわるのはやめようって思った。って。
今回親と分かり合おうとおもったものの
私とはかかわらなければいいからコンタクトをとらなかったって。
私がお母さんに言わなければやり過ごしたらしい。
でも話したいこと、言いたいことがあるなら話そう。って。
何?意外なんだけど。
だって期待してた内容とは全然違った。
弟の中に私との楽しい記憶っていうのはいっさいなかったんだ。
一生かかわらなければいいって思ったんだ。
ショックというか、これまた複雑だよね。
私は弟のこと考えないようにしてたけど
心の中では30歳になればとか40歳になればとか考えたこともあった。
こんなに人から嫌われたことってないよね。
ましてや弟から。
自分でわかってるんだけど私のネガティブな部分、
人間関係の構築とかって、いい意味でも悪い意味でも
この弟との関係に由来してるんだよね。
だからここを乗り切らないととは思うんだ。
話したい気持もあるけど、傷つきたくない気持ちが多くて
今は逃げようって思ってます。
兄弟っていうだけで、血がつながってるってだけで
1番遠い存在だなって改めて思いました。
支離滅裂。
本当に暗くてごめん。
今日初めてこの15.6年感じてた本心を親に伝えた。
そして、ちょいちょい話していたもののC-FONにもすべて伝えた。
最近仲良くなったのにminaちゃんにまで伝えた。
でも、なんだろ。
人に伝えたことで少し楽になった。
あんなに出てた涙も止まった。
幸い明日あさって、家にいないし。
ゆっくり考えます。
あー、こういうときに彼氏または旦那ほしい。