「母~もうすぐだよ~」
と、リビングにいる長女から声がかかり、
「スマホスマホ!」
と、いそいそと写真を撮る私。
秋になって、冬に向かっていく頃、今年もまたどんよりとした気持ちになっていて、
それを振り払うように意識してテンションを上げている私。
あの頃、三女と通っていた神社は趣が変わっていて、何か違う‥‥と心がモゾモゾとして悲しいと呟く私。
この季節、三女からのメッセージがたくさん届いて、ああ居るんだなと思う。
きっと、いつも居るのだけれど、冬眠中のような私を励まそうとしてくれているのだと思う。
街中を走る車のナンバープレートを見るのがクセになっている。
この季節はウソのように3、33、333、3333のナンバーの車とすれ違ったり、前を走っていたりする。
それも、長女や次女、三女の友人や知人と一緒の時は冗談かと思うほど、世の中の車は3しか付けていないのではないかと思うほどに。

三女は西日が差すリビングの学習机の上にいる。
「いいね。近くにいるのね。いいと思う」
と、その日を前に訪ねてくれた私と三女の友人が言う。
三女は不思議なくらい人々から愛されていたのだなぁ‥‥と、学習机の上の写真を見て思う。
20歳にしては知り合いが多いし、年齢の幅が大きい。
三女と私の友人でもあるその人たちは、三女がいた頃と同じように、私に寄り添ってくれている。それ以上にだね‥‥
冷たい風が吹く夕方、
保育所のお迎えの帰りなのか、自転車に子どもを乗せて必死な様子の母親を見た。
大変なんだろうけれど、何だかちょっと羨ましく思う私。
私にはもうやって来ない無我夢中?がむしゃらに子育てをした日々が。
寒い日も暑い日も雨の日も雪の日も、少々体調が悪くても、足腰がいたくても、子どもたちのために頑張れた日々が。

いつの間にか卒業していた。
いや、4年前の冬に。

あの頃、三女がいなくなってから少し経った頃、ほぼ引きこもりでいた頃、
「余生」を過ごしていると感じていた。
今もその感じではいるのだけれど、
月日が経ったからこそ振り返ったり、思い出せたりするらしく、
燃え尽き症候群であり、空の巣症候群だったのだとわかった。


秋から冬にかけて行っている娘たちが卒業した小学校の落ち葉掃除のボランティア活動が先日、16回目のシーズンを終えた。
発足した当時もその後も、今の私の状況を想像することもなく続けてきたけれど、
この季節に心が冬眠してしまう私のためにあるのだと強く思うようになった。

もちろん、メンバーさんそれぞれにボランティアをする理由があって参加してくれているのだと思うし、明確な理由がなくても参加してくれていることに感謝している。
ボランティアをさせてくれる学校と、発足にOKしてくれた当時の校長先生に改めて感謝。


クリスマスで2歳になった孫娘のために、サンタの弟子のバアバは3時間半費やして、おままごとキッチンを組み立てた。

三女がいなくなった穴を埋めてくれる存在。穴の形は違うから、すっぽり埋まることはなくて、でもそれが正解。

その日がきて、私は次女と餃子を作った。
4年前のその当時も既に長女と次女は巣だっていて、三女がいなくなってからは餃子を作ることはなくて、久しぶりのこと。

次女はひき肉料理の混ぜる専門で、混ぜ始めるとストップをかけるまでずーっと止めない。
あの頃よりは大人になっているので、少しは包むのも上手になっているかと期待したが‥‥
結局、みんなが集まるまでに作り終わらないで、長女の夫に手伝ってもらった。
時間が経ったのだ。人も増えた。
餃子を笑って食べられるように時間が過ぎた。



でも、時間が経ったからこそ冷静に思い出せるようになったことがある。
忘れたふりして封印してきた思い出したくない出来事が少しずつ頭に戻ってきている。
その日の翌日、子どもの頃に住んでいた町のお諏訪さまをお参りした。
今年も無事にその日を迎えられたことにホッとしている私。
三女の目が見えなくなった時に、すがるように祈った目の神様。
隣にアマビエ様が建立されていた。
三女はコロナ禍もアマビエ様も縁がない。
知ってはいると思う。

三女はいる。

その日に合わせて送られてきたお花やお菓子の中に、
Sora kara no okurimonoがあった。