父は普段から絶対に怒らない人。


口数は少なく子煩悩。


お願い事は、出来る出来ないに関わらずとりあえずやってくれる。


笑いはするけど「怒」「哀」の感情は見たことがありません。


母は、

「何を考えているのかわからない!」 

「何にも言わへんねん」

「お母さんがしんどくても大丈夫かの言葉もない」

など、不満爆発。


私は

「(いや、逆にお母さんもいたわってあげてる?)」

と思ったりもしたけど…


長い間家庭内別居。


だけどご飯はみんなで食べる。


ちょっと変な家族でした。


そんな母が年明け5日に倒れ救急搬送。


コロナ対策でなかなか会うことが出来ずに数日が過ぎました。


「病状をお話ししたい」

とのことで父と私と、身体の不自由な兄の代わりに母の姉の息子、つまり従兄弟が行く事に。


待合室で待っていると、母が車椅子に乗せられてやって来ました。


元気な母しか知らない私は、真っ白な頭に痩せ細った身体の母に驚愕したのを覚えています。


母も含めての病状説明が終わりその場を後にするとき、父が母の手を握り

「頑張りや」

…母もその手を握り返し何度も頷く…


なんやかんやと夫婦やん!


と私は嬉しくその光景を見ていました。 


面会は3日に1度2人までと決まっていて、私が車を出さないと二人とも病院へ行くことが出来ないし、病院につれて行くだけつれて行って病室には父と兄の二人で行って貰おうと思っても父は耳が遠く、兄もしっかり喋る事が出来ない為、どうしても私が1/2の権利を奪ってしまう…


ずっと3人で暮らしてきて毎日顔を合わせていた家族がなかなか会えなくなった……


コロナが憎いと心から思いました。


退院して施設に入るタイミングで父と兄には私の自宅のすぐ近くに引っ越して来て欲しいと提案。

母もこっちの施設に移ってもらって…


「今から部屋色々見るだけ見てみるわ。

何かこれだけはっていうのとかある?」

父に聞くと

「お母ちゃんが帰って来た時の為に三部屋は欲しいな」


……絶対に心底仲悪い訳じゃないやん!


またまた嬉しくなりました。


正直、帰って来れるような状態ではないよなって思ってたけど、父はまた母が帰ってくると信じていました。


病院からは「療養型病院」を薦められ面談に行くも「終の住処」になることは間違いありません。


まだ帰ってくると信じている父の為に、少しでもリハビリをしてくれる、入院中の病院に併設されている「老健」に無理を言って入れていただいたのです。


認知症も進み、職員の方々にご迷惑をおかけしてしまうことも…

体調を崩して連絡の電話をいただくこともしばしば。


遂に延命措置をどうするかの話にまでなり、覚悟をしておかなくてはなぁと思うようになりました。


結局リハビリどころではない状態なので、やっぱり療養型病院に移った方がいいのかなと思っていた矢先、老健から電話がありすぐに車を走らせましたが、その途中で母が旅立ったと……


その後の事は正直あんまり覚えていません。


2日後が友引の為、今日明日で葬儀まで終わらせるか3日後に通夜をするかどちらにするかと葬儀会館の方に言われました。


3日間も母をそのままにしておくのは可哀想だと思い、その日の夜に通夜をする事に。


棺や献花などを選びすぐに死亡届けを出し火葬許可証を貰い、何だかフワフワした状態のまま、まだ母が亡くなった事の実感もなく、通夜の準備が進んで行きます。


急な事でも通夜には親族が集まってくれました。


父はボーッと遺影を眺めている…


次の日の葬儀には、父の田舎からも父の兄弟達が出て来てくれました。


最後のお別れの時父は常に棺の足元に立っていたので、私の娘が

「おじいちゃんこっちおいで」

と促してくれ父は母の顔を覗き込み…


その途端、父は嗚咽をあげながら泣いた…


そんな父は初めてでした。

今まで父の母の葬儀でも、兄弟の葬儀でも静かに見送っていた父が声を上げて泣いた…

支えてあげなければ倒れ込んでしまいそうな位だったのですかさず孫達3人が寄り添いました。


火葬を待っている間、父の弟が寄ってきて

「寂しなるなぁ」

と共に顔をクシャクシャにして泣き始めると父も顔をクシャクシャにして泣いていました。



暫く二人が声も出せないくらいに泣いていたので周りはわざと大笑い。
でも皆その顔は涙で溢れていました。


父と兄の体調もあり私が喪主を務め、挨拶などは私がしたが、火葬場に行く時には父に遺影を持ってもらい骨上げの最後も父に任せ、勿論小さくなった母の骨壺も父に持ってもらいました。



父は母を愛していました…。

お母さん見てる?

お父さんは間違いなくお母さんのこと想ってたよ。
散々お父さんの文句言ってたけどそれでもお父さんはこんなにお母さんの事を思ってたんよ。

…でもお母さんも寂しかったんよね?
お父さんは何にも言ってくれなかったから…
愛情の裏返しやったのかな…?
生きてる時にお母さんにちゃんと伝わってたら少しは違ってたのかな?

またそれを見て
「何で生きてる時に言うてくれへんかったん!!」
って怒ってるかな…

お父さんとお兄ちゃんの事は私と子供らで支えて行くから見守っててね。

お母さん、長い間お疲れ様。
ありがとう。