杉田劇場2023「わが心の美空ひばり」①の続きです。
今年の美空ひばりさん生誕の地、横浜「杉劇ひばりの日」2023・6・24
満席だったと思います。開催土曜日でしたし、花園直道さん人気^^もあってか
熱気ありました。これもし惠ちゃんだったらチケット買えない恐れも。(;^_^A、
プログラムは
まず加藤和也さんのご挨拶から。
お言葉一つ一つにファンの皆さんへの感謝の心、いつもお人柄を感じます。
「人生一路」 花園直道さん 舞踊
フィルムコンサート
「哀愁波止場」 「お祭りマンボ」 「津軽のふるさと」
「一本の鉛筆」「みだれ髪」 「人生一路」
元NHKアナウンサー
石澤典夫さん (おはなし)
休憩20分
ひばりさんを慕う若手アーティストによるミニライブ
「柔」
舞踊 花園直道さん
「東京キッド」 「花笠道中」 「悲しい酒」
歌 梅谷心愛さん
「いでゆの里(伊豆の踊子)」 「ひばりの佐渡情話」 「江戸の闇太郎」 「愛燦燦」
歌 有紀乃路央さん
ひばりメドレー
「ひばり仁義」 「ひばりの佐渡情話」 「港町十三番地」 「ひばりの渡り鳥だよ」「人生将棋」
舞踊 花園直道さん
「落人村風景」オリジナル 有紀乃路央さん
「磐越西線ひとり」オリジナル 梅谷心愛さん
「百花繚乱~blossom」「希望の詩~立ち上がれニッポン~」オリジナル 花園直道さん
梅谷心愛さんは、福岡県出身の15歳。
「美空ひばりさんが大好きで、ひばりさんの様な愛される歌手を目指して勉強修行しています。
今日このステージにひばりさんのお着物をご縁があって着させて頂きました。
ひばりさんにとってもこの杉田劇場の大切なステージに立たせてもらった事、
大変緊張しましたが、会場の皆さんのおかげで楽しく歌わせて頂きました。」
とても15歳とは思えない堂々した歌声、確かにひばりさんに幼い頃から憧れたと言うのは本当ですね。
可愛らしい方、素敵な歌声でした。
有紀乃路央さんは、ここ磯子のご出身。洗足音大卒
「私のひばりさんへの想い、それは感謝です。
ひばりさんがいたからここまで生きて来れた。。
ひばりさんの声、歌は、愛、夢、希望、たくさんのものを私に届けて下さいました。
皆様と幸せな一日を過ごさせて頂きました。感謝で胸がいっぱいです。」
目にこぼれそうな涙をためて、心に届く歌を歌って下さいました。
彼女を3年前から見ていますが、伸びる高音、厚い声量、成長著しいな~と感じました。
益々楽しみです、頑張って下さいネ。
花園直道さんは、
「私は日本舞踊をベースとして和のエンタテインメントショーを日本、海外でもやらせていただいていますが、
必ず欠かせないのがひばりさんの「人生一路」です。どこの国でやらせていただいてもひばりさんの歌声に魅了される人ばかりです。ほんとうに今日はありがとうございます。
ひとつ夢が叶いました。光栄でした。皆さんに愛されているひばりさんの偉大さ、それを心に刻んだ一日になりました。
これからも大事にひばりさんの歌を踊らせて頂きます。」
初めて間近で見せてもらいました。
まぁ~すらりと背が高い方ですね。惠ちゃんより一回りは背大きいかな。僕とは大差
手足が長くダイナミックな踊り、手も大きいし迫力あります。そして指先に至るまで所作の美しさ。
にこやかな笑顔と、キリリと締める所は流石。途中観客席まで降りて来て下さって回る回る、サービス精神も旺盛。
私が惠ちゃんペンラを振っていると、見つけてくれて「おっ!」とアイコンタクト。^^
公演終了後、ツーショットのサービスがあったので参加しました。
迷わずいのちまっすぐポーズをリクエスト。満面の笑みですぐ一緒にやってくれました握手も。何というナイスガイ。
嬉しそうなお顔で「こころ万華鏡」盛り上げていきましょうと言ってくれました。
(直道さん写真まずければ言ってください。m(__)m)
「わが心の #美空ひばり ショーアップコンサート!」とても貴重な経験をさせて頂きました。オープニングで #人生一路
— 花園直道Naomichi (@naomichi0819) June 24, 2023
また、ひばりさんの名曲をメドレーで踊らさせて頂きました⭐︎感激です。#加藤和也社長 #石澤典夫 さん#有希乃路央 さん #梅谷心愛 さん
お客様ありがとうございました😊 pic.twitter.com/h1aHWmH8kJ
石澤典夫さんは、
「今日は親戚のおじさんおばさんに囲まれるような^^安心感溢れる空間の中でひばりさんの名曲の数々を聴かせて頂きました。
ひばりさんの歌というのは聴いていて、心から喜べる、心から泣ける、「よし、もう少しやってみるか!」とそんな気持ちにさせてくれる、ひばりさんの歌の多くがそういう力を持っている。こころのビタミンではないでしょうか。常備薬として近くに。」
NHK時代からの名アナウンサー、惠ちゃんの「歌のあとさき」もナレーションしてくれてました。
いつまでも聴いて居たい優しいお声と語り口、大好きでした。
おっしゃる事、ただただ感服いたします。
グランドフィナーレ
和也社長
「皆様ありがとうございました。
旅立って35年目になる美空ひばりですが、今後とも皆様の温かいご支援宜しくお願い致します。
皆さんに、益々元気に成って欲しいとの願いも込めて、本公演のラストは合唱でいきたいと思います。」
皆さんで、「港町十三番地」 「川の流れのように」
一生懸命にみなさん歌って、ひばりさんの歌は愛するファンにとって元気の源。
皆様こんにちは♪
— ひばりプロダクション(美空ひばり) (@HibariOfficial) June 26, 2023
お墓参り、そして杉田劇場「わが心の美空ひばりショーアップコンサート」にご来場戴いた皆様、有難うございました✨豪華なゲストの皆様と、多くのファンの方々と一緒にひばりさんを想いながら過ごした素敵な一日でした✨
ひばりさんも喜んでいると思います
ありがとうございました♪ pic.twitter.com/ObQ8ewMUQJ
本当に楽しく思い出深い「杉劇ひばりの日2023」になりました。
帰り道の夕焼け美しかった。
12歳で昭和の戦後史の舞台に躍り出たひばりさん。
敗戦の焼け跡、傷ついた人たちの胸に初めて咲いた一輪の花。
歌への夢を全身で表現するまだ幼き少女が、どれほどの人たちを勇気付けた事でしょう。
生涯にわたる歌謡界に残したその輝かしい活躍と名声。
しかし、たとえ天才と言われたひばりさんと言えど、日々ひたむきな努力が無ければ成し得なかった事と思います。
天高くひばりの如く羽ばたいてと、母が名付けた「美空ひばり」
しかしその歌の道は決して平たんなものでは無かったと思います。
どんなバッシングや非難があろうと、娘を命懸けで守り抜いた母、喜美江さん。
「お嬢、あなたはね下町のおかみさんが、夕食の買い物にやってくる魚屋の、あたしの側で育った。
だから庶民の喜びや願いや涙が歌えるんです。あなたの舞台をみつめてくれている皆さん一人一人があなたの宝。」
ひとに伝わる歌ってそうなんだと思います。
心に届く歌声とは。
昭和と共に生き昭和と共に去ったひばりさん。
昭和天皇が世を去った時、ひばりさんには168日の命しか残されていませんでした。
人にはそれぞれ生きる道があり、この世に残す足跡がある。
戦後の日本に、美空ひばりさんが存在しなかったら、きっと味気ない世の中になっていたのでは?とさえ考えます。
生涯に吹き込んだ歌1500曲を超え、出演映画158本、売れたブロマイド推定3億7000万枚以上。
23年続いた新宿コマは、観客動員年間100万人。
日本コロムビアの発表によると、レコード・CDなどの物理メディアの総売上2019年5月1日時点での累計出荷枚数は約1億1700万枚に達する。
レコード全集を買いました。
いいですよレコードのひばりさん。
いつもひばりさんの目の中には、歌を愛する人たちの姿がありました。
52年の命を最後まで燃やし尽くして、
人の心に届く歌を歌い続けたひばりさん。
笑顔と涙、感動と愛をくれた人、美空ひばりさん。
美空ひばりさんは時代が今一番求めている音楽を、その誰にも真似できない圧倒的な歌唱で
常に先頭に立ってパフォーマンスしてくれた歌手だと思います。
「真っ赤な太陽」はロックだと思いますし、「津軽のふるさと」はオペラでしょう。
スタンダードジャズを歌ってもその秀でた才能は圧倒的な存在感を示していました。
ひばりさんと一緒にジャズの野外ステージを行った世界的ジャズトランペッターの日野皓正さんは言います。
「英語は話せないひばりさんが発音を耳で覚えて出来る。それは普通じゃないよね。演歌じゃない、演歌なんて関係ない。声量やそんな事はもちろん当たり前に凄いよ、でも音楽ってそんな事じゃない、人間のデカさなんだ。人間のデカさが音楽を凄くする。だからファンが多いんだよ。」と。
ひばりさんは、おっしゃいます。
「歌い方を崩すというのはいけない事だと思います。どんなに昔の歌を歌いこんで慣れてきたといっても、
テンポをずらして歌ったり、そういう歌い方を変えたりというのは、尊敬できないです。
聴く方がなんでこの曲がヒットしたかというと、たくさんの方がレコードを買って下さったからですね。
その買って下さる方が美空ひばりのどこに惚れたかって言うと、一番最初に歌った歌い方が好きだから買ってくれたんであって、
それを変えてしまったら、ガッカリされると思います。」
常に譜面通りに、歌い続けたひばりさん。いつの時代のひばりさんの歌を聴いてもレコードを聴いているように完璧な歌声には、そういう信念をお持ちだったからなんですね。
ひばりさんを私の様な者が語るなど甚だしい事とは存じますが、
せめてもの礼義として、「美空ひばりファミリー倶楽部」入会させて頂きました。
思えば、2020年にコロナ禍が始まったあの年、青葉台のひばりさんの記念館に足を運び、
21年、22年、23年杉田劇場のひばりさんを見て、生誕祭、お墓参りも出来たこの三年間で。
もちろん、惠ちゃんがひばりさんをあれほどおっしゃるから知らないといけないと思った訳ですが、
見て聴いて調べるうちに、そのひばりさんの魅力、凄さに圧倒されています。
惠ちゃん、いつか話そう。俺も詳しくなったゼ。ハハハハハ。
惠ちゃんが以前テレビで言ってた「三年目」みつけたよ。
イイ感じだねー。
いつか惠ちゃん、ひばりさんの生まれ故郷、ここ杉田劇場でひばりさんを歌うコンサートおやりになって下さい。
惠ちゃんがやるには小さな会場だとは思いますが、ひばりさんへの想い、語りたいだけ語って
ご自分が歌いたいひばりさんの歌を歌い尽くす。
そう、和也社長にも来ていただいてそんなアットホームな雰囲気のコンサートを、是非お願いします。
きっと惠ちゃんの心に、大きな得るものを残してくれるはずです。
杉田劇場とひばりさんの墓所の距離調べましたが2キロ余りしか離れて居ません。
惠ちゃんがひばりさんを歌うなら、こんなに素敵な会場他にありません。
みなさまお読みいただきありがとうございました。m(__)m