こんにちは!
smile-truckの田中 安樹です。
今日は、地震があった日の事を少し。
地震発生時、私は弟と家に居ました。弟は仕事の事務処理をダイニングで、私はキッチンでお昼の片付けをしていました。そこで地震が起きたのです。
弟に促されダイニングテーブルの下に隠れましたが、あまりの揺れの激しさと想像以上に長い揺れに少し気分が悪くなったのを覚えています。
揺れに身体を取られながらも飼い猫のミャーが気になり弟に訴えたら捕まえに行ってくれましたが、ミャーもかなりおびえていたらしくウォークインへ走って隠れてしまいました。『ウォークインなら安心だ』と思った矢先、かがんでいた足下に壁に飾ってあった写真が落ちてガラスが割れてしまいました。まだ収まらないと思いながら頭の中では『大変な事が起っている、、、。父と母が出掛けていたのでどうやって連絡を取ろうか?大丈夫なのか?今、どこに居るのか?』
等々、パニックになりながらも冷静に考えている自分が居た事を覚えています。
揺れもおさまり少し落ち着きを取り戻した所に父と母が帰宅してきました。
運良く地震が起る少し前に電車で地元に着いたそうです。駅近辺で地震に合い慌ててタクシーで帰ってきたそうです。
取りあえず家族が揃い、部屋の片付けやテレビでの情報収集等をして弟と会社を確認しに行ってきました。
幸い、何も被害がなく既存のままの状態で保たれていました。
家に帰リ気になる事がいくつか、、、、。
私のNYの大親友が帰国してきており、仕事で岩手に行っていたのです。いつ東京に戻ってくるかは聞いていなかったので心配になり携帯に連絡をしてみました。
携帯繋がらず、、、、。
30回程かけた所、夜の10時にやっと繋がりました。
実は彼女、朝、岩手を出発して新幹線で東京に戻る途中で地震にあったそう。新幹線が途中で止まりそこからは線路の上を1時間程歩いて避難所に避難したそうでした。
その避難所の場所がなんと家の近くの小学校だったのですぐに迎えに行くと伝え車を走らせました。
小学校に着くと、いくつかの教室と体育館から光が見えてきました。
体育館に着くとまず受付を済ませ中に友人を探しに入りました。
体育館の奥の方に彼女らしい姿を見つけ声をかけました。
彼女の顔を確認しやっと一安心して、荷物を一緒に車まで運び込み帰路へつきました。
通常では10分で着く道が、片道45分程かかりましたがなんとか家へ着いて、彼女は私の母が作った夕食を食べてなんかホッとした様子でした。
避難所には300名くらいの方がいらっしゃました。1人毛布を1枚づつ提供されて居ましたが体育館には小さな暖房器具が1つだけどいう過酷な状況でした。情報は何も入ってこずこれからもどうなるか判らない状態だったそうです。
こんな時に写真を撮るのはどうかとも思いましたが、災害時の記録に残ればという事。現実を知るという事で写真を1枚撮らしてもらいました。
この小学校に避難された方々が、皆様が家族の元に帰れた事を願っています。