自然農法と呼ばれるものには どんなものがあるか 知っていますか?
岡田茂吉さんの自然農法
福岡正信さんの自然農法
木村秋則さんの自然栽培
赤峰勝人さんの循環農法
※世の中にはこれ以外にも、さまざまな農法があります。
私のお気に入りは 川口由一さんの「自然農」
理由は、野菜づくりが初めての方であっても、
身近にある道具(鎌1本と移植ゴテくらい)を使って、
「気軽に」(簡単に) スタートできるからです。
自然農の特徴
・耕さない →土が肥え、フカフカになる
・草や虫を敵としない →作業が楽。人も虫も仲良し
・肥料、農薬を使わない →お金がかからず、しかも 健康的
↓↓↓(クリック)
自然農をはじめよう - NAVER まとめ
次は、
川口さんの動画・・・・自然農について、わかりやすく お話されています。
(前編) ↓↓↓
(後編) ↓↓↓
自然農で お野菜をつくってみようかな~と、思われた方は
川口さん関連の本をご覧ください。
たとえば↓↓↓
「誰でも簡単にできる! 川口由一の自然農教室」– 2013/3/22
新井 由己 (著), 鏡山 悦子 (著), 川口 由一 (監修)
話はかわって
8月に奈良で行われた「川口さんの乾坤(けんこん)塾」に参加しました。1泊2日
乾坤塾は
自然農の根幹にある
「(問題を招かない)人としての生き方・在り方、智恵」を学ぶ場です。
●真の治療とは・・・?
病気の症状(結果)に振り回されないこと。
症状を 薬や手術で取り除いても、一時的なもので
終わってしまうことも多いのではないでしょうか。
(病院の数が減っていかないことが、それを如実に証明しているでしょう)
たとえば高熱が出たとしましょう。
一般的には、すぐに熱を下げようとします。
しかし、からだが体温を上げることで、
体内のウイルス の増殖を抑えようとするようです。
ですから逆に、その状態を維持した方が よいかもしれません。
(※以下は キャップスクリニック から引用)➔ こちら
どうして熱がでるの?
・ 体の中に病原体が入ってきたとき、それと戦う白血球が働きやすい環境に
するために 人間の体は熱を上げています。
・ ウイルスの増殖を抑える役目もあり、体を守るために熱がでています。
(ただし、熱中症は除く)
熱は下げたほうがいいの?
・ 熱は生体防御反応ですので、積極的に下げる必要はありません。
・ 39°C、40°Cあっても熱が直接、脳神経に影響することはありません。
ただし、ぐったりして反応が悪い、顔色が悪いなど
熱以外に、全身の状態が悪いようなら受診してください。
・ 逆に 39°C、40°Cであっても
元気で水分がとれているようなら 必要ありません。
(以上、引用おわり)
※なお、高熱が続き、やはり下げたいと感じた場合は、
豆腐パスターや大根湯 などの自然療法があります。
また 野口 晴哉さんの「風邪の効用」という本もありますよ ➔ こちら
根本的な治療であるためには
からだ全体(※その人が生活している環境まで)を見なければなりません。
※病気を招いた要因は何だろう?
・食べもの、食べ方
(添加物の少ない旬の新鮮なものを食べる。味わってよく噛む。身土不二)
・気血の滞り。運動不足(笑)
・こころの持ち方、生活リズム
・環境(住んでいる場所、働いている環境、人間関係・・・・etc)
治癒のカギは
人には自然治癒力が備わっていることに 気づくこと。
●真の教育とは・・・?
他者に依存しない、他者を依存させない
●人類が直面しているエネルギー問題。
自然エネルギー(風力、太陽光発電)に替えれば 問題は解決するのか・・・?
●芸術・・・美醜の別を 明らかにする
川口さん↑↑↑
乾坤塾のご案内は ➔ こちら
※田畑の見学や野菜づくりの方法などのお話はありませんので、
そちらに関心がおありの方は、
各地にある「自然農の学びの場」や「赤目自然農塾」にご参加ください。
↓↓↓
自然農 学びの場のご案内は ➔ こちら
(自然農を学べる場、見学できる場の一覧)
赤目自然農塾は ➔ こちら
ナスの花 ↑↑↑
野菜のお花も 美しい ものが多い。
収穫も もちろん できるから 一石二鳥 だよ、
畑が無いなら、プランター栽培でいいから、
ぜひ育ててみよう!
↑↑↑ 刈り取った周囲の草を、ナスの株元にかぶせることで
真夏でも 水やり、不要。しかも 土は豊かになる。
※ただし、葉っぱが しおれ グタッとするほどの状態で放置すると
枯れちゃいますので、そのあたりはちゃんと観察 して下さいね
(ちなみにバロンの畑では、オクラとナスが順調に収穫できています。
ミニトマトとピーマンは元気がありません・・・)
オクラと、サルビア ガラニチカ(左下)↓↓↓
サルビア ガラニチカ の花 ↓↓↓
※鳥のヒナが「おなかが空いたよ~ ママ、ごはん頂戴~ 」
と 口を開けているように見えて、可愛い
おまけのコーナー
クレマチス「ジェニー」2番花↓↓↓
クレマチス「キャサリン クランウィリアム」2番花↓↓↓
通路に伸びた花と、赤シソの葉っぱちゃん↓↓↓
アーチを彩るキャサリン
↓↓↓咲き始めはピンク色が濃い(左上の2輪)
西洋ニンジンボク
↓↓↓(夏に元気で、涼しげな 紫色の小花。 葉っぱも細長くて、美しいよ)
ビバーナム オノンダガ↓↓↓赤色の実
実が付くのは我が家ではたいへん珍しく、植えてから4年目にして
初めてそのお姿を見ることができました。ありがたや~
春の美しい葉色や蕾み、そして白い花の写真は→ こちら
アベリア「ジャックポット」と、赤シソ↓↓↓
※生垣や公園によく使われているアベリアの「斑入りの品種」
白く小さなお花が
バロンの 乙女ごころを くすぐる(笑)
植物さんたち、いつも 素敵に ありがとう~
スマイル ありがとう~ (*^^*)
■自然農(追記 その1)■
” 田植え不要 の「多年草化した稲」観察会のお知らせ♪”
小川誠 さんの田んぼです。
2020年07月の過去記事で ご紹介しています。
私は現地 未見ですが、
不耕起・冬期湛水(冬でも水を入れておくこと)の田んぼでは
そんなことが可能となった とのことです。過去記事は→ こちら
■自然農(追記 その2)■
自然農について 川口 由一(自然農・いのちのことわり監修者)
“自然”という言葉は、“自ずから然らしむる(おのずからしからしむる)”ということを示しています。何が自ずから然らしむるのかと言えば、いのちがいのち“自ずから然らしむる”です。いのちというものに、自然という性質があるということです。
それぞれのいのち自ずから絶妙に然らしむる絶妙の存在であり営みであります。そのようになっている自然界で、そうしかならない自然なるいのちでありますゆえに、その営みに添い応じ従う他になく、添い応じ従い任せることによって、最善の結果をもたらしてくれることになります。自然に添い応じるのが最善、それぞれのいのちに従い任せるのが最善です。
自然農は、こうした自然本来である自然なるいのちの営みに添い、応じ、従い、任せる農です。それぞれの田畑においても、完結する営みが自然本来であり、そのように成っている自然界・生命界であるゆえに、自然農の田畑でもそう成るのであります。耕さず、肥料農薬を用いず、草や虫達、他の生物を敵としない自然農の栽培法、そして大型機械と石油を用いず、道具と手足を使っての作業は、いのちをあずかる農の心から離れず、決して大地や空気や水を汚染することなく、有限の資源を浪費し大切な環境を破壊することなく、いのちを損ね衰退させることなく、浄化、復活、再生ともなるものであって持続永続を約束してくれるものであります。また栽培過程において農夫のいのちを損ねることなく、食します人々のいのちをも損ね汚染することなく、十全に育った作物のいのちが私達のいのちを健全なるいのちへと養い育んでくれるものであります。
人類の誕生も、この今の存在も、やがて寿命至っての死滅も、自ずから然らしむるものであり、農において、衣食住において、生活すべてにおいて、いのち自ずからなる自然に添い、応じ、従い、任せるところに、真の平和と豊かさがあり、人類の全うがあります。
「耕さない・草や虫を敵としない・肥料農薬を必要としない」この三つの基本となるあり方は、いつの時代においても、地球上どこにおいても通ずる普遍のものであります。
◆ 耕さない
自然界における森や林では、いずこも耕していません。耕していない自然界においては、豊かないのちの営みを成し、そこで食べて食べられ、殺し殺され、生かし生かされ、ひたすらそれぞれがそれぞれのいのちを生きて共存共栄、生まれ育ち死に、親から子、子から孫へと絶えることなくいのちが栄え続けています。その場にふさわしい動植物が生命活動を営み、共に生死のめぐりを重ね、必ず自ずからいのちにふさわしい環境に変化し、いのち達の最善の舞台となっています。
そこを耕さなければ、多様な生物達の生存と生死のめぐりが自ずから成さしめ、 健全なる生存が約束され続けるものであり、実に多くの動植物達がその場その気候その環境に応じての生命活動を盛んにします。耕さなければ、無数のいのち達が生死にめぐった死体が地表に重なってまいります。それは過去のいのち達の歴史の積み重なりでもありますが、そこを舞台に次のいのちのお米や野菜、草々、小動物達、小さな微生物達が、親の続きをそれぞれ個々個々が生きて、同時に一体となって見事に生きてまいります。
不耕の田畑では、過去のいのち達の死体と歴史を舞台にして、地中でも地上でも多くの生物がひたすら我がいのちを生きています。この舞台が殊に大切であり決して耕してはなりません。耕せば多くの生物達を殺すことになり、大切ないのちの舞台を壊して、不毛の地と化さしめます。過去のいのち達が生き死にしてきたこの舞台で、今のいのちが生きることを約束されており、この舞台で計り知れない多様なる多くの生物が常に生きております。他のいのちが生きているところでそれぞれが生きることができ、お米も野菜も生きることができます。過去も現在もすべてが切り離すことのできない、一体の存在にして一体の営みなのであります。したがって決して耕してはなりません。
◆ 草や虫を敵にしない
地球上で人類だけ、水田でお米という草の作物だけ、畑でキャベツという草の作物だけでは、一つの生命圏で存在しえません。いろんないのち達が自然にそこに在ってこそです。いろんな小動物が住める環境はいろんな草が在ってこそです。一枚の田畑の生命圏に自ずから存在する多くのいのちすべてが生きるに任せ従っておけば、そこは常に豊かないのちの舞台となります。草々虫達を敵にしないで、あるがままの自然に任せておけば、いのちが大いに栄えます。それはとりもなおさず作物を生かし、私達を生かしてくれることになります。
そこで食べることのできるものを採集すると採集生活ですが、お米やキャベツを育てる栽培生活でありますので、目的とする作物が他の草に負けないように、草の成育を押さえる必要があります。特に幼い時期には足元の草を抜き、成長初期には近くの草を刈り、その場に敷いておきます。作物が青年期へと育てば、足元にいろんな草があり、いろんな小動物が生きている方がいいのです。
あるいは、地力において、環境において、虫との関係において、乾燥具合や湿り具合において、 土を流失させないことにおいて、土を豊かにするにおいて、草は絶対に必要です。草は敵では決してありません。栽培生活をしているという認識に立って、草に負けぬよう適期に草の成長を抑え、最小限度の手を貸してやります。
虫についても同じです。自然界においても自然農の田畑においても、害虫益虫の別なく、有効無効の別なく、すべてがゆえあってそこに誕生し、そこに今を生き、そこに死んでゆきます。いずれも一体となってこの今の絶妙の営みに欠かすことの出来ないいのち達であり、いのち達の営みをさらに豊かにするものでもあります。したがって、殺虫殺菌剤等々の農薬、除草剤は不要にして、決して用いてはいけません。虫が多く発生し、害を多く及ぼすことが生じるのは、栽培のあり方に問題があるからであって、特に耕して肥料を多く投入すれば、自ずからなる虫を害虫に追いやることになります。
◆ 肥料・農薬を必要としない
すべてのいのち達が生きるに必要なものはこの自然界に自ずからあり、多種多様の生物達の生死の営みのなかで自然裡に用意されるものであって、他からいかなる肥料をも用意する必要はありません。作物と共の様々なる生物達の営みがそのまま耕すことを必要としない、肥料を必要としない豊饒の舞台と成るものです。化学肥料、あるいは有機、無機、堆肥、ボカシ、微生物、酵素…、いかなる肥料も、他で用意し持ち込むと養分過多や片寄りとなって多くの問題を招きます。 あるいは、農薬や除草剤を用いて他の生物を排しては、作物は決して十全に育つことはできません。 一体なる営みの調和を乱し、田畑の営みは異常となり衰退します。 持ち込まず持ち出さなければ、生死の巡りのなかで、一枚の田畑において、私達人間も含めて多種多様のいのち達が生かされ続けます。どのいのちも他を生かすために生きているのではなく、他を殺し食べ、ただひたすらに我がいのちを生きることが、そのまま他を生かすことになり共存共栄の関係となっています。
いのち達は生きる営みのなかで必要なものを、足元の大地から、歴史から、亡骸から、排泄物から…、あるいは水から、空気中から、太陽から、雨から、風から、他のいのちから、そして果てなきこの宇宙生命界から集めて我が身体を作り、次のいのちを作り、一生を生き、死して大地に死体を寝かせて、さらに豊饒の地と化さしめ、次のいのちを生かします。それぞれの生物達が生きて成長成熟し、次のいのちを用意し、我が死体を寝かせますと、それまでになかったものをそれぞれに作って舞台を絶妙に豊かにします。実ったものを田畑から持ち出し私達人間が食しても、不足をきたすことはありません。
自然農においても、生かされている田畑で、稲藁、籾殻、米糠、小麦のフスマ、菜種の絞り滓、畔の草等々、必要に応じ作物の性質に応じ循環させ、他のいのちに巡らせます。生死の巡りのなか、いのちからいのちへの巡りのなか、栽培生活における田畑での巡りのなかで食糧は約束され続けます。他に依存することなくです。他から肥料を用意して持ってこなくてよいのです。持ち出さず、持ち込まず、生かされて生きている場で完結する自然農であり、自然界です。
台所の生ゴミ、あるいは食べて出した排泄物等は、田畑に巡らせ続けると養分過多になって問題を招くことになります。作物の性質をよく知り、決して過ぎないように注意します。これらは工夫して生活に必要な電源や燃料に利用することが必要になります。
大切な基本のことは、作物は肥料によって育つのではなく、一枚の田んぼのなかにゆえあって存在する他のいのち達と一体となって営むことによって、はじめて十全に生きることができます。過去のいのち達の歴史の重なりの上に、多種多様な他のいのちが今ここに宇宙生命界のすべてと一体となって生きているから、生きることのできる私達人間であり、すべてのいのち達です。
◆ いのちの世界を知ること
私の生き方を、私の人生を、私の生活をどのようにしてゆけばよいのかということは、生まれてきた時に一人ひとりに課された課題であって、それぞれ一人ひとりが明らかにしてゆかねばなりません。一人ひとりが明らかにすることが、人類全体が明らかになり人間社会が明らかになることにつながります。
一人ひとりが私の人生を明らかにする、人としてのあり方を明らかにする、あるいはこの気候風土に生かされる日本という国におけるあり方を明らかにし、あるいは人類全体のあり方を明らかにしなければ、暗闇のなか道なき道の混沌混乱無秩序の人間社会となり、この宇宙生命界において最低の生物にして最大の不幸に陥ることになります。
一人のあり方においても、国のあり方においても、人類全体のあり方においても、現実においては明と暗が入り混じり、不安なこと、悩み苦しむこと、恐ろしいこと、悲しいこと、愚かなること、耐え難き不幸なることが多くあります。人本来のあるべきありようを明らかにするべく、どこが間違っているのかを見きわめた上で正しい答えを明らかにする。それは私にとっても、私の人生においても、人類全体においても、すべてのいのちにとっても、地球にとっても、 すべてのいのち達の舞台である環境にとっても、宇宙にとっても、今、最も大切なことであります。
大切な私の人生を考える時に、基本になるのは、いのちの世界でいのちあるものとしてのあり方を明らかにすることです。いのちあるものとしてのあり方を明らかにするには、このいのちの世界がどうなっているのか、それを明らかにしないと見えてくることはありません。いのちの世界とはどういうことなのか…。あるいはいのちの世界はどのようになっているのか…。あるいはいのちとはどういうものなのか…。それは、この宇宙、この自然界はどうなっているのかと同じことですが、ここを一人ひとりのなかで明らかにすることが、私の人生を生きるにおいて、あるいは人類が生きるにおいて、欠かすことのできない基本のことになります。
第19回 妙なる畑の会 全国実践者の集い
『人類の明日を悟る2』-いのちの道 人の道 人類普遍の道を得る-
(2010年10月23-24日開催)の事前配布資料より抜粋
上記の文章は、下記から引用させていただきました。
https://shizen-nou.jimdo.com/%E8%87%AA%E7%84%B6%E8%BE%B2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
もう隠せない原爆級の「ワクチン死」
詳細は下記
オープンガーデン❤ 2022-5月 & 参政党 って、何者?
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子どものマスクは有害↓↓↓