父さん | smileでいこう!

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日々感じたことを綴る雑記です。

特派員と結婚する前、私を呼ぶ時は名前に「さん
付け」だったのに、結婚した途端に名前で呼び
捨てするようになった。あまりの無遠慮さと、
それ以上のぎこちなさに、可笑しくて笑った。
誕生日が私と2日違い。
いつの年だったか「一緒に誕生祝いすっか?
なんて冗談を言った。本人なりに親近感を持って
くれていた。
ある年、誕生日のお祝いに服をプレゼントした。
少し後、老人会の旅行の時とっても嬉しそうに
それを着て出掛けた。帰ってきたら、母さんが
「あちこちで『嫁からのプレゼントだ』と自慢
してた。」と言っていた。
腕の良い職人だった。
とても器用で、自宅では部屋の棚もキッチンの
タオル掛けも、何でも手作りしてあった。
娘が生まれて、特派員から一文字貰って名前を
付けたら「良〜い名前付けたなぁ。」と心から
嬉しそうに笑っていた。孫娘を抱いて名前を呼ぶ
時の、どうしようもないくらい幸せそうな顔。
息子も同様、孫2人を本当に可愛がってくれた。
パソコンで文章を作れるようになったのが嬉しく
て、たまに遊びに行くと待ち構えていたように
作ったものを次々に出してきて見せては、書いて
ある内容を説明してくれた。
ドクターストップされていたのに出先でお酒を
呑んで倒れ、救急車で病院に運ばれた。点滴を
受けながら、駆け付けた私にお説教された。
神妙な顔で返事してて看護師さんに笑われた。
入院中にお見舞いに行ったら、食事が摂れなくて
点滴を受けていた。ベッドから起きることも出来
ないのに「車らろ?ばぁの顔見んかねっけ今日は
帰ってひと晩うちに泊まる。」と我儘を言った。
母さんは元々身体が少し不自由で、父さんが家に
いると1人では世話をするのもままならないので
大変だ…と散々愚痴っていたのに、いざ父さんが
入院したら「諍いする相手がいねて退屈ら。」と
寂しそうにしていた。
本当に仲良しでお似合いの夫婦だった。
認知症が進行して自分の身の回りのことができな
くなった。何でも器用にこなしていた人の変わり
様に、周りは慣れるまで大変だった。孝行する
チャンスをもらえたのは良かったけれど、その
変わりようを受け入れて付き合うことは、毎日
一緒にいる実の家族にとっては辛かったかも知れ
ない。
新型コロナウイルス感染症の影響で、お世話に
なっている施設が面会禁止になった。数ヶ月もの
間、誰も顔を見に来なくなったと勘違いして寂し
い思いをしていなかっただろうか。
認知症の「おかげ」で大丈夫だったなら、良いの
だけれど。
何かにつけて関わりたがりな父さんは、時に面倒
くさく時に鬱陶しかった。自分が孤児だったから、
家族や家庭の暖かさを誰よりも求めていたのかも
知れない。分かっていても、優しくしてあげられ
ないことの方が多かった。
息子2人で娘のいない父さんは、父のいない私の
父さんになってくれた。
嫌なことは嫌と折れず、言うことを聞かずに我を
通す頑固で可愛げのない嫁だった。でもそんな
私を虐げることなくいつも大事にして、むしろ
実の息子達よりも可愛がってくれた。

父さん、ありがとう。