愛と幸福の現実創造説

上田さち です







【現実化する仕組み】
〜心情を見ている〜




外側である目の前の現実は、内側の映し出し

私たちは、人間の肉体を纏っていて
私たちの本質は、肉体の中に内在している




現実化するということは、
あなたの心情がカタチとなっている
ということなのです



心情とは、
心の中の思い心の状態のことなので
目の前の現実は、
自分の心の中の思いや状態が
カタチとなって映し出されているもの




私たちは、人間という肉体を纏っています


目で見たり耳で聴いたり
手で触れたりできますよね


しかし、
肉体に内在している本質は、
肉体そのものではありませんから、
目で見たり耳で聴いたり手で触れたりできません


何をしているのかというと、
現実を映し出す作業をしているのです



創造主です




目で見たり耳で聴いたり
手で触れたりできないので、
あなたの心情を頼りに、
その心情を受けとって現実を創造しています



あなたが足りないという心情であれば、
足りない現実を創造します


自分自身を否定する心情なら、
自分を否定せざるを得ない現実だったり
周りから否定される現実を創造します


満ち足りているという心情なら、
現実も満ち足りたカタチに創造します



このように、
満ち足りているから
現実も満ち足りてゆくのですが、
目の前に現れた現実に
一喜一憂してしまうのではないでしょうか




いつもお伝えしているように
目の前の現実は内側の映し出しですから、
映し出された(創造された)現実は
「私の内側は、こんな感じだったのか」
と認識するために現れています



誰かに否定されるような現実が
目の前に現れたのなら、
悲しくなったり辛くなるのも分かりますが、
あなた自身が常日頃ご自身を否定しているから
悲しくなったり辛いわけです




私には弟がいて、
子供の頃はよくケンカをしていました
ケンカの際にいつも弟が
「お姉ちゃんのブタっ!!」と言うんですね


弟からすると私を傷つけようと
言った言葉だと思うのですが、
当時の私はガリガリだったので
ブタという言葉には攻撃力もなければ
私を傷つける力もありませんでした


ブタと言われて、
いつも吹き出してしまい、
それがきっかけでケンカは終結していました



ところが、
当時の私はガリガリで
貧相な自分を否定していたので
「ガリガリの貧相野郎!」と、
弟に言われていたら、
すごく傷つきますし悲しいですし、
辛くなってしまうのです



このように、
常日頃から自分を否定する心情だと
否定されるような現実が現れたら、
傷ついたり悲しくなったり辛くなるのです



しかし自分を否定することを手放して
心の中に否定が無い状態なら、
たとえ否定されるような現実が現れても
弟にブタと言われた私のように
なんとも思わないようになります
(そもそも否定されるような現実は
映し出されなくなりますが)



もしも否定されたとしても、
「この人は、否定が内側にあるんだな。
そういう選択をしているんだな」
とあたたかい目で包み込めるようになりますし
他者がどんな言動や状態だとしても
その人の選択でそうなっていますから、
その選択を尊重できるようになるのです



怒りや不安や焦りが湧き出てきたら、
それらのネガティブな感情を手放すと
あなたの目の前に映し出される現実は、
怒りや不安や焦りのカタチにはなりません



要は、
どんな心情でいるのかによって
映し出される現実を選択しています



ネガティブな感情が湧き出て
嫌な感情だと認識できたのなら、
それらを手放してゆきましょう



あなたの現実の創造主である本質は、
肉体を纏っている側のあなたに
「あなたの心情、了解です!」と受けとって
「これですよね!」と自信たっぷりに
あなたの目の前に創造しているのです



望んでいる現実ではない場合、
「これじゃないよぉ…」と思ったら
あなたの心情を振り返ってみてください

必ずハッとするはずです



これじゃないのなら、
望んでいる心情にしてゆかれますように…




あなたが目の前の現実を、
目や耳で見たり聴いたりするのは、
創造された現実に
一喜一憂するためではありません


見たり聴いたり触れたりして
自分の内側がどんな状態なのか 
認識するためにあるのです










無条件の愛と祈りをこめて