ナムテクノの大沢社長から犬山に知覧特攻平和会館初代館長の板津忠正氏という人がいると教えて頂きました。早速、岐阜県倫理法人会の安田青年委員長に守破離塾で板津氏に講演をしていただくよう依頼しました。そして、12月13日第3期第1回守破離塾で板津氏の講演が実現しました。板津氏の経歴は下記の通りです。

「大正14年1月25日名古屋市昭和区に生まれ。昭和20年5月28日に特攻の出撃命令が出ます。出撃するも途中エンジントラブルにより徳之島海岸に不時着し、知覧に帰還。板津さんは「自分に命が永らえたのは自分にしかできない何かがあるからだ」との強い思いから、名古屋市役所で勤めながら、特攻で亡くなった多くの仲間の遺族を探出し、特攻慰霊とともに当時の状況を遺族に説明する。59年7月に要請を受け知覧特攻平和会館事務局長、61年新館建設と同時に初代館長に就任。」


 さて、守破離塾での講演が始まりました。会話の声は小さいのでマイクを用意しようか考えていましたが、講演が始まりますとマイクは全く必要有りませんでした。声は大きくしかも張りがあるのです。講演は板津氏自身が集められた写真を中心に進みます。殆どの写真は知覧特攻平和会館で見たものばかりです。下の写真右は特攻おばさんこと「とめさん」と板津氏のツーショットです。


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 特攻に関する逸話は特攻で生き残っている方が少ないのでいい加減な話が多いことがわかりました。「片道の燃料だけで出撃した・・・」、これもウソでした。戦艦に激突すると爆発も大きくなるので予備の燃料タンクも積んでいたそうです。「遺書は実際には無念がにじみ出ている・・・」、これもウソでした。「特攻は何十人に一人が選抜されるとても名誉なことなのでみんな喜んで出撃しました。」などなど、真実は意外にシンプルでした。


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 上の写真は左から島塾長・板津氏・私です。手に持っている写真は板津氏が出撃する前の出陣式の様子だそうです。
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さあ、今日もツイてツイてツキまくり、大成功するぞ!!

西田文郎先生を師と仰ぐ 強運会計士 曽根康正
(私は
「西田会」 の会員です!!



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