8月15日終戦記念日、日本が第2次世界大戦に負けた日に石井慧選手がやってくれました。日本のお家芸である柔道100キロ超級で「金メダル」獲得です。


石井慧選手は2年ほど前からの国内大会から注目していました。2年前、全日本選手権で史上最年少19歳で制覇しました。そして、今年の全日本選手権(北京オリンピック100キロ超級代表選考会を兼ねていました)で再び優勝。石井選手は、見事、代表に選ばれました。


この2回の石井選手を見て、今までの日本柔道の代表と違うなと思いました。石井選手は柔道の醍醐味である一本勝ちにあまり拘っていませんでした。とにかく勝ちが優先なのです。


しかし、この姿勢が代表選考を揉めさせました。世界選手権優勝の棟田選手との争いです。最終的に石井選手に決まった理由は、「石井は何が何でも五輪という執念が違う。」「石井は勝つためにどうしたらいいか考えてる。石井の勢いも買った。」などでした。


そうなんです、石井は他の選手とは勝つための執念が全く違うのです。勝つためには手段を選ばないのです。さて、石井選手は、柔道が変わっているだけではなく発言も変わっているので石井語録を少し拾ってみたいと思います。


 「一本にはこだわらない。勝てば何でもいい」。「(出身大学の)国士舘の柔道は負けてはいけない。完ぺきに勝ちに行った。」「五輪のプレッシャーは(大学の先輩で日本男子監督の)斉藤(仁)先生のプレッシャーに比べたら、への突っ張りみたいなもの。」「全日本選手権覇者が負けることは日本が負けることだと(斉藤先生から)耳にたこができるぐらい聞いていた。」「日本柔道を背負っていない。背負っているのは毘沙門天だけです。」(石井慧選手は戦国武将上杉謙信を尊敬しているのですね。私も上杉謙信は大好きです。)


 面白い男です。言うこともやることも型破り。しかし、いずれにして初出場で柔道の頂点100キロ超級「金メダル」を獲るとはやはり石井選手は「強運」の男ですね。こんな男が尊敬される世の中になると日本も良くなるのでしょうね。さあ、石井選手を見習って型破りな言動・行動(奇怪な言動・行動はいけません)で「ツキ」「運」を呼び込んで「強運」の人生を送りましょう。


さあ、今日もツイてツイてツキまくり、大成功するぞ!!



西田文郎先生を師と仰ぐ 強運会計士 曽根康正

(私は「西田会」 の会員です!!)



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