みなさん、こんにちは。


折からの台風、みなさんのお住まいの地域は大丈夫だったでしょうか?
何も大きな被害が出ないことを祈っています…



さて、今日は私的名機礼賛シリーズの第7回目をお届けします。
今回取り上げるのは、デジタル一眼レフカメラです。
話はキヤノンに戻り、EOS の二桁機について書いてみようと思います。

EOS の二桁機というのは、ミドルクラスの機種たちです。
本音を言えばプロ機である一桁の機種が欲しかったりもしたけれど、価格的にも、大きさ・重量的にもちょっと無理で、自分の用途には二桁機で十分と見極め、それから歴代の二桁機を愛用することになったのでした。

初めて買ったのは、EOS 20D。2004年9月発売のカメラなので、たぶん翌年になってから購入したんだと思います。
液晶モニターがまだちっちゃくって、めちゃくちゃ見づらかったけど、その点を除けばバランスの取れた使いやすい1台でしたね。色再現がとても良かった。

続いて、液晶モニターが少し大型化された次の機種、EOS 30D を買ったんだけれども、これは失敗…
液晶モニターが大きくなったわりに見づらさは変わらず、モニターの色も浅く、画像の確認がとても困難でした。
よく我慢して使っていたと思うよ。

続く EOS 40D はスルーして(なぜ買わなかったのかは謎。きっと資金が足りなかったんだろうね)、その次の EOS 50D を2台買って使いました。
それが2010〜2011年くらいのこと。
その頃って… そう、うつ病の真っ只中にいた頃です。
ひと言でいえば「ツラいカメラ」だった…
詳しくは後述しますね。

続く EOS 60D はまたスルーして(動画が撮れるようになったのが気に食わなかったから)、その次の EOS 70D に買い替え。
今では当たり前になった「デュアルピクセルCMOS AF」が初搭載され、Wi-Fi対応にもなった意欲作だったと思います。

けれど、あまり使い込まないうちに、後継機のEOS 80D に買い替えました。
理由は、視野率100%の光学ファインダーが搭載されたからです。
一眼レフ機では、ここ重要。一眼レフでは生命線ですからね。
キットレンズの EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS USM が優秀だったというのも理由の一つでした。

そして一昨年の暮れ、「最後の一眼レフ」とも言われた EOS 90D に買い替えて、僕の EOS 二桁機遍歴が終わりました…
遂に3000万画素を超え、操作部にマルチコントローラーが追加されて、二桁機の完成形と言ってもいい姿になったのではないでしょうか。


途中、何台かスルーしてるけれど、二桁機を使い続けてきたという点では一貫していますね。
その中で名機として取り上げるならば、やはりうつ病の只中にあった頃に使っていた、しかも2台持ちしていた一眼レフである EOS 50D でしょう。

これが EOS 50D です。


・Canon EOS 50D(2008年9月発売)

自分の記録によると、2010年7月と翌年4月に購入したもののようです。
うつ病になって1年余りの頃かぁ、最も状態が悪かった頃だな〜。

ミドルクラスなんだけど、見るからに武骨で重そうでしょ?
実際は 1.3㌔くらいなので、極端に重いわけではないんですが、うつ病で身体の弱った当時の自分には、やっぱり重かった…

それを2台も買ったのは、これが「動画の撮れない最後の EOS」だったからです。
僕は動画撮らない派なんですよ。
今でもそうですが、当時は特に「一眼レフで動画なんて!」と思い込んでいて、頑なに動画を拒んでいました。
だから、動画の撮れる EOS 60D が世に出ると、それはイヤだからもう1台 50D を買って、長く使ってやろう… と思ったわけです。

実際、4年くらいは使ったのかな。
あんまり使い込めなかったけれどね… うつ病のせいで。

何をどう撮ればいいのか、まずその想像力が欠如していた。
それ以前に、カメラを持って歩くこと自体が恐怖だった。

いくらファインダーを覗いても、被写体も構図も見えてこなくて、泣きそうになった。
重いカメラを持って路地を右往左往していると、自分が何処に居るのか分からなくなって、また泣きそうだった。

そんなんじゃ撮れるわけがない。
実際に、このカメラで撮った枚数はわずかです。
2台も使っていたのに、遠く1000枚にも及ばないくらい。
しかも、お見せ出来ないほどの駄作ばかり。

道具は立派だけど、心がついていかなかった、身体もガタガタだった…

う〜ん、このカメラ、名機と呼べるのかな?

心にも身体にも重かったよ。
精神的にプレッシャーだったし、肉体的にキツかった。
とにかく重くてゴツゴツしていて、投げ出したかった。
苦痛だった。
それがこのカメラに対する正直な気持ち。

う〜ん、このカメラ、名機とは呼べないね…

なんだろう、どう表現すればいいんだろうか?

うつの波に飲まれながら、ただジタバタと足掻いていた頃の、運の悪い相棒。
そうとでも表現するしかないかなぁ…

何もこのカメラが悪いわけではないんです。
このカメラを使っていた時期が悪かった。
巡り合わせが悪かった、そうとしか言い様がありません。

いいカメラだったとは思うけどね、使い手がダメダメだった。
だから2台もあっても使いこなせなかったんだと思う。
本当にうつ病はイヤな病気だ(病気は何だってイヤなものだけれど)。
気力が削がれる。
想像力を奪われる。
体力がてきめんに無くなる。

そんな時を一緒に過ごしたカメラは不運だ。

そう、不運の一台。
それが僕の使った EOS 50D だったと思います。


そして僕はミラーレス一眼に出会い、徐々にそちらに軸足を移していくことになるわけですが、この時はまだそんな時代の流れを知らなかったんですね…

こうして書き出してみると、僕は案外と 50D に対してネガティブな想いを持っていたんだなぁと、改めて気が付きました。
ごめんね、2台の 50D…
ちゃんと使ってあげられなくて。
ちゃんと撮ってあげられなくて。

うつ病を振り返ると、何もかもに懺悔したくなることがあるけれど、このカメラに対してもそんな気持ちがあるんだろうな…

忸怩たる想い。
EOS 50D は、まさにその一言に尽きます。

それでも僕の記憶の中からは消せないカメラですよ、それは間違いない。
だから、そういう意味では僕にとっての名機なんです。
たとえ撮れなかったとしても。
使いこなせなかったとしても。


だからここで、ごめんねと共に、ありがとうも言わせてください。

ありがとう、EOS 50D。
荒んだ時期に一緒に居てくれて。
ありがとう。
忘れないよ!