7・24『SMASH.6』植松寿絵 直前インタビュー! | 酒井正和 オフィシャルブログ Powered by Ameba

7・24『SMASH.6』植松寿絵 直前インタビュー!

7・24『SMASH.6』植松寿絵 直前インタビュー

スマッシュの挑戦!



7・24『SMASH.6』(新宿FACE)で小路晃とタッグを組み、AKIRA&リン・バイロンと対戦するSMASH初参戦の植松寿絵に、これまでのレスラー人生を振り返ってもらいながら、試合への意気込みを聞いてみた。


■「GAEAでデビューしてから緑の水着を着ていた頃っていうのは、いい思い出が一切無いんですよ」
――プロレスラーになろうと思ったきっかけは?
植松 私は、小学生の頃からクラッシュギャルズ(長与千種&ライオネル飛鳥)に憧れて女子プロレスを観るようになったんですよ。それで、私も女子プロレスラーになりたくて、女子プロレス団体に履歴書を送ったんですけど、そのときは身長も足りず、親の許しも得られなかったので一度は諦めたんですね。
――ちなみに、履歴書を送られたのはいつ頃からなんででしょうか?
植松 小学5、6年からですね。だけど、結局はダメで、その間に長与さんが引退されて私の女子プロレス熱も冷めていったんですよ。それで試合も観なくなって高校生、さらに社会人になったんですね。
――社会人時代はどんなご職業を?
植松 地元(静岡県富士宮市)のスーパーのレジ打ちを2年間やってました。で、そのスーパーに女子プロレス好きの男性社員がいて、「長与千種が今度復活するよ」っていう話を聞いたんですね。
――長与さんが復活したのは1993年11月ですね。
植松 その話を聞いて、実際に長与さんの復帰戦を観に行ったら、昔の大好きだった女子プロレス熱が戻ってきてしまい、その当時の女子プロレスの資料を集めるようになったんですよ。で、そうこうしているうちに、『リングの魂』というテレビ番組で長与さんが新団体を立ち上げて新人を募集するっていうのをやってて、年齢制限で20歳までだったんですけど、ちょうどそのとき私は20歳だったので、最後のチャンスだと思ってオーディションを受けたんですよ。そうしたら合格して、GAEA JAPANに入門し、現在に至ると。
――SMASHにも参戦した里村明衣子選手と同じ第一期生としてGAEA JAPANに入門したのが1994年。当時のGAEA JAPANと言えば、第一期生がセンセーショナルな形でデビューして、女子プロレス界でも旋風を巻き起こしたじゃないですか。そのデビュー当時を今振り返ってみていかがでしたか?
植松 私は女子プロレスラーになりたくてこの世界に入ってきたので、練習がキツくて辞めようと思ったこともありましたけど辞めなかったし、絶対にデビューしてやろうとガムシャラでしたよね。例えば、炎天下の中で水も飲まないで何時間も走り続けてたら、医学的にもダメだし、アスリートとしてもそんな練習は今だったら絶対にさせないじゃないですか。それでも、頭に水をぶっかけられながら当たり前のようにそういった練習をこなして、とにかく必死でしたよ。今の時代には絶対に合わない練習なので若い子にはやらせないですけど、あの当時の自分たちを振り返ったら、やってきて良かったと思える練習でしたよ。でも、GAEAでデビューしてから緑の水着を着ていた頃っていうのは、いい思い出が一切無いんですよ。
――それはまたどうしてですか?
植松 同期の中で言えば、里村が長与さんの、加藤園子が飛鳥さんの後継者と呼ばれて、シュガー佐藤&永島千佳世というタッグチームがいて、その下の後輩にはコミカルな広田さくらがいたんですけど、私のポジションというのは彼女らの下だったんですよ。それが当時の私の実力というか、勉強不足でもあったと思うんですけど、自分のプロレスというものが定まってなかったんでしょうね。とにかくやることに精一杯でプロレスを楽しんでなかったんですよ。
――そうなったときに、焦りだったり、「自分を変えなければ」と思われたりというのは?
植松 もちろんありましたよ。で、ちょうどその頃に、長与さんがヒザのケガで欠場したのをきっかけにしてGAEAの観客動員が一気に減ったんですよ。そのときに、長与さんから「お前ら、プロレスをもっと考えろ!」って言われて、私が取った行動は、腰まであった長い髪をバッサリ短く切ったことだったんですよ。
――まずは、イメージチェンジをしたと?
植松 それだけじゃなくて、緑の水着をやめて黒のコスチュームに変えて、ヒールになったんですよ。
――見た目だけじゃなくて、キャラクターも変えてしまったんですね。
植松 でも、姿形を変えても植松寿絵のプロレスは変わらないし、長与さんに反発して無理に悪いことをしてる私に対して、最初の頃はお客さんから野次や罵声が飛んでたんですよ。あとは、会社からも「いつでも辞めていいよ。代わりはたくさんいるから」みたいなことも言われたんですね。で、その間に、JWPからカルロス天野、輝優優がGAEAに入団してきてたんですけど、輝もGAEAで自分のプロレスが全然通用しないことに悩んでいて、余り者同士である私と輝がタッグチームを組むことになったんですよ。それでもやっぱり始めの1、2ヵ月というのは「お前ら、つまんねえから」っていう野次が飛んでたんですよね。それであるときに、うっかり私たちがタッグベルトを獲ってしまったんですよ(笑)。
――うっかりですか?(笑)。
植松 そうなんですよ。それも、場外カウントギリギリで4人が止め合っているときに、私だけが転がってリング内に戻ったんですよ。それでたまたまチャンピオンになって、試合後のマイクで一言言ったら、そこから一気に「植松輝は面白い!」ってなってベルトを何度も防衛して、GAEA解散時にも植松輝というタッグチームのキャラクターがついたことで、フリーになっても二人でやって行ったら、タッグのベルトを奪ったり、いろんな所から声がかかるようにもなって年間120試合ぐらいできるようになったんですよ。なので、輝とくっつかなければ今の私は無かったですし、プロレスを楽しいと思えることは無かったと思いますね。で、2年前に長与さんから初めて褒められたんですよ。「お前も俺とプロレスの話をできるようになったんだな」って(笑)。それまで一度も褒められたことが無かったので、あの瞬間っていうのは涙が出ましたよ。


■「まさかSMASHに私が出られるとは思わなかった」
――長与さんと言えば、『SMASH.4』(2010.6.25/新宿FACE)の会場で流れた植松選手のメッセージビデオの中でもおっしゃられていたことなんですけど、長与さんが植松選手に「TAJIRI選手を見て勉強しろ」とアドバイスされていたんですよね?
植松 そうなんですよ。さっきの話にも出た、9年前、ちょうど私がキャラクターを変えたときだったんですけど、そのときに長与さんから「いいレスラーがいる。TAJIRIの試合ビデオを見て勉強しろ。俺がお前になって欲しいイメージはTAJIRIだ」って言われたんですよね。で、早速私はTAJIRIさんのビデオを観たんですけど、動きなんかを盗もうと思っても盗めないんですよ。っていうのも、盗み方も知らなければ、自分に与えられた仕事をやることに精一杯だったんで(笑)。だけど、フリーになってからいろいろなプロレスを研究をしている内に長与さんから言われた言葉を思い出して、またTAJIRIさんのビデオを観始めて、そこからですよね。TAJIRIさんのプロレスを研究できるようになったのは。今から5年前ですね。だけど、まさかSMASHに私が出られるとは思わなかったですよ。
――でも、それぐらいTAJIRI選手の研究をしていたからこそ、TAJIRI選手のアンテナに引っかかってSMASH参戦のオファーがあったのではないでしょうか?
植松 あっ、それで言うとうれしいことがひとつあって、その昔、プロレス記者の須山浩継さんから、TAJIRIさんがWWEにいるときに女子プロレスのビデオをたくさん観ているっていう話を聞いたんですよ。そのときに、TAJIRIさんが「植松っていう子はいいね」ってボソッと言ってたっていうのを須山さんから教えてもらったんですよね。それを聞いたときは本当にうれしかったですよ。
――では、SMASHに対するイメージはいかがでしょうか?
植松 やっぱり「次も見たい!」って思わせるものがありますよね。若い選手であれば、成長していく過程を見たいというか。あとは素の部分で闘っているっていうイメージがありますね。
――その中で、植松選手は“素の植松寿絵”として参戦することとなりましたが、この点についてはいかがでしょうか?
植松 私が女子プロレスで今やってる“卑怯者”のキャラクターであったり、タッグ屋の植松輝で闘っている姿というのは、研究に研究を重ねて作り上げたものなんですよ。だから絶対的な自信があるし、これがあることでいろんなことを表現することができたんですよね。その一方で、今まで表現できなかった“素の植松寿絵”をここで出すというのは、楽しみっていう言葉を打ち消すぐらい不安のほうが大きいんですよ。ただ、その“素の植松寿絵”をTAJIRIさんが良いって言ってくださったことだけが自信にはなってますね。
だって、私は今まで“素の植松寿絵”を良いって言われたことが無かったんですよ。
――えっ、そうなんですか?
植松 そうですよ。だって、素の私は二つのことがいっぺんにできないんで。例えば、iPodで音楽を聴きながら道を歩いていると、横断歩道で止まってしまうんですよ。曲を聴くことに精一杯になってしまって。ふと気づいて周りを見たら、既に信号が変わっていて、それまで周りにいた人たちが全然見えないところまで行ってたりとか(笑)。
――そこまでですか!?
植松 道を歩いていて、車にひかれそうになることもしょっちゅうですからね。あとは、エレベーターに乗ったはいいけどボタンを押し忘れたりとか。そんな素の私を良いって言ってくれたTAJIRIさんのことが不思議で……(笑)。
――確かに、リング上の姿からは想像もつきませんね(笑)。
植松 でも、TAJIRIさんの感覚で“素の植松寿絵”をプロデュースしてもらったら、できるんじゃないかって思えたりもするんですよ。あとは、私の中で「ダメだ」っていう“素の植松寿絵”に対する固定概念を崩すことができたら、どんなプロレスができるんだろうっていう興味もありますよね。でも、今は不安でしかないですけど(笑)。
――不安ですか?
植松 だって、自分の素をお客さんの前でいきいきと表現するという部分では、朱里ちゃんやリンちゃんのほうが私よりも新人だもん。卑怯者の植松寿絵だったら先輩だから偉そうにするけど(笑)。でも、キャラクターを変えてイチから出るとなったら、彼女たちとは同等ではないですよね。逆に研究させてもらいたいですよ。先輩だから後輩よりもできるとかではなくて、後輩が自分よりもできていることに関しては、自分から頭を下げてでも教えてもらわないと。それが昔の人たちの固定概念を崩す、もっとプロレスが良くなることなんじゃないかなって思うんですよね。


■「小路さんの素の部分に、素の私が上手く乗っかれたら……」
――7・24『SMASH.6』(新宿FACE)では、小路晃選手とタッグを組んでAKIRA&リン・バイロンと対戦しますが、このカードに関してはいかがでしょうか?
植松 「えっ、ここに出たら、こんなカードが実現しちゃうの!?」っていうのが正直なところですよね。AKIRAさんと当たれるなんて思わなかったし。その一方で、素の自分をいきいきしながらさらけ出して、それがお客さんに受け入れられているリン選手と当たるのは怖いですよね。だって、素の私は絶対にいきいきしてないから、キャラ負けじゃなくて素負けするんじゃないかなって(笑)。
――素負けですか?
植松 でも、今回のような形で新しい挑戦を与えてもらえるっていうのは、凄く限られた人でしかできないことだと思うし、私はプロレスに恵まれているんだなって思いますよ
――プロレスに恵まれている?
植松 私のレスラー人生の中でいろんな挑戦がその都度やってくるし、止まってる暇が無いんですよ。「私、暇だなあ」「私のプロレスは変わってないなあ」って思うことが無いんですよね、この5年間は。だから、これだけ私はプロレスにお世話になってるんだから、引退して子供を産んだら、どれだけ女子プロレスが下火になっていても絶対に自分の娘をレスラーにさせるもん。男の子だったらさせないけど(笑)。
――なるほど(笑)。ちょっと試合のほうに話を戻させていただくと、“最後の日本男児”と呼ばれる小路選手とのタッグも魅力的なチームになるんじゃないかなっていう予感があるんですが?
植松 小路さんの素の部分に、素の私が上手く乗っかれたらなっていうのはありますね。
――だけど、パートナーである小路選手のことを考える余裕というのは……。
植松 無い、無い。小路さんはSMASHで先にやってるんだから、勝手にやってよ~(笑)。だって、お互いに意識をしてる暇なんて無いし、小路さんが私のことを意識してなんとかしようと思った時点で、小路さんはダメになってしまうと思うんですよ。逆に、私が小路さんをなんとかしなければって恩着せがましいことをやったら、素の私というのが潰れてしまうと思うし。二人で食い合いをしないためには、それぞれが素の自分をまずは確立させなければいけないのかなって思いますよね。
――それでは最後に、SMASHファンに向けてメッセージをお願いします。
植松 今は自分のことが不安なので、「期待してください」とは正直言えないです。ただ、SMASHでしか観ることができない“素の植松寿絵”という部分では、「植松ってこういう人なんだ」って分かってもらった上で、観ている方々と一緒に成長させてもらえればありがたいかなって思います。




■7・24『SMASH.6』(新宿FACE)開場17:00 開始18:00
~FCFチャンピオンシップ~
TAJIRI(王者)
vs
スターバック(挑戦者)

ユージン&朱里
vs
スカリーIIホッティ&ミッキー・ジェームス

KUSHIDA
vs
内藤哲也(新日本プロレス)

大原はじめ
vs
ヴァレンタイン

AKIRA&リン・バイロン
vs
小路晃&植松寿絵

児玉ユースケ
vs
ガルビンダー・シラ

※試合順は後日発表