会社の同僚のシングルマザーの子供が、どうやら不登校になっているようだ。


周りの同僚が心配だと話をし、 学校に行かなくとも勉強する手段はあるとか、学歴が無くても生活はしていけるとか。


確かに外野らしい意見だと。


間違ってはいないし、食べて行くだけなら支障は無い。


問題の本質はそこではない。


何故、学校に行きたくないのか?

理由は何なのか。


勉強について行けない、容姿を馬鹿にされる、何かしらいじめにあっている。


いじめにあっている場合、理由が子供自身ではなく、親が理由だったら、わざわざ親がダメージを受ける 様な事を子供は話さないだろう。





40年前 、親父が死んだ。

俺は小学五年生だった。


夏休み直前の出来事で、とてもショックだった。


元々、父親としては良い親ではなかった。


相続した財産を全て使い、挙げ句借金を残して死んだ。


お袋は苦労して兄貴と俺を育ててくれた。



次の年の夏休み、子供会の行事でキャンプに行った。


ずっと落ち込んで居た訳でもないけど、久しぶりに楽しみだった。


カレーを作ったり、バーベキューしたり。


レクレーションで宝探しをした時、俺の人生に影を落とす事件が起きた。


広場の中におやつの引換券が隠されて、それを子供達が探す。


スタートして程なく俺は引換券を見つけた。


少し時間が経ち、小さな子が泣いていた。券が見つからないと。


可哀想だったので、俺の券をあげた。


そこからまた探したが、結局見つからなかった。


保護者から見つからなかった人居るかとの呼びかけで、数名が手を挙げ俺もその中の一人だった。


その時一人の保護者が俺に向かって、「さっき見つけてたくせに、嘘ついてまた貰おうとしてる」


えっと思った瞬間、「これだから片親の子供は意地汚いんだ」


言い表すことの出来ない感情が押し寄せて、動けなくなった。

その後の記憶は正直無い。



40年前の世間の価値観では、片親の印象はあまり良いものではなかった。


特に女手ひとつで育てているなんて、どんな仕事してるのかと。 


戦後の混乱期の考えを引きずった者が多くいたのだ。


現在は片親とは呼ばれないだろう。

シングルマザー、ファザーと呼ばれ、世間からも認知されている。





キャンプから帰り、 お袋の帰宅を待っていた。


とても恐い時間だった。

帰宅したお袋に何と言われるか、想像出来たから。




お袋が帰宅した。




「ただいま、どうだった?」



「楽しかった?」




「うん」



精一杯の答えだった。




トラウマと言う言葉も無い時代、お袋の問いかけが、深く胸をえぐる様だった。


お袋は何があったかなど当然知らない。


息子の帰宅をただ喜んでくれたのだ。


食事を囲み、どんな事をしたのかなど聞かれ、不思議と淀みなく答えた記憶がある。


勿論嘘を答えていた。

真実を言える筈もなく。



この事は、墓場まで持って行く。

決して知られてはいけない事だ。



人を信用する事が難しいと感じる様になってしまった。


大人になり、少しずつ変化の兆しもあった。


似たような境遇で育った奴と出会い、意気投合し友と呼べる仲になった。


少しずつ友も増えたが、ある時ちょっとしたすれ違いが起き、結局疎遠になってしまった。


裏切られたのかも知れないが、お互い様なのだろう。


心の根っこの部分に、他者を信用出来ない所があった。


見透かされたのかも知れない。


極力一人を選ぶ様になった。

けれど、人が嫌いな訳では無く、時に恋をする事もあった。


長くも上手くもいかなかったが。


見透かされる心の根っこ。

壊れた心は元通りにならない。


他者を信用出来ない心。


未だ独身の理由のひとつだろうな。

モテ無い事を棚上げすればだけどね。


7月ももう終わり。


親父の享年もとっくに超えた。


まだ生かされる理由を探さなきゃいけねーのかな。


人生もう終わってるんだがな。




7月ももう終わり

 

 

 

 

 

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