働くのって楽しいよと2年前には冗談抜きで言えていましたが、しばらく働くことから遠ざかっていると、家族と過ごし、新聞読んだり、テレビ見たり、インターネットで色々調べたり、本読んだり、たまに出かけることだけで十分満足だなーと思い始めました。
今日はあったかいな、花が咲き始めたな、野菜も春になってきたな、季節を肌で感じ、自分の時間をコントロールできる専業主婦って最高に幸せなんじゃなかろうか。
人生で一番大切なのは家族との時間と仮定すると、一番その時間を持つことができる職業。
当然家族本位になってしまうし、専業主婦もちゃんとしようと思えば大変なことも多く、経済的に自立してないから制限されていると思うことはあるでしょう。
たとえ経済的に自立していても日中の大半をパソコンに向かっているのってどうなんだろう、なんて思ったりして。 人生は時間の積み重ねだから人間的な豊かさは下なのかも。
専業主婦に育てられた方が子供も幸せなんじゃなかろうか。
現状、残念ながら養ってくれる人もいないし、お金持ちでもないので働かないといけない。
オポチュニティコストをかけているのだから賃金以上の価値を仕事に求めたい。
成果を出して満足感を得られなければ無駄。何を成し遂げるのか、個人としてその先にはきっと成長があるのだけど、どんな景色が見えるるのかな。
それなりのやりがいのある職に就いているという現状に満足していて成長しなくてもいいかなって思い始めてるんだろうな。
向上心ってどうやって身につけるのだろう。そういう環境に身を置いたらいいのかな。
冗談抜きで手の届く範疇で成し遂げたいことってないのかも。そう考えると誰かの親になることが人生最大の望みである私にとっては、限られた時間を婚活に当てた方が満足するのかも。
また復帰したら忙殺される日々に負けて、こんなこと考えてたなーと振り返って終わるんだろうな。
2年前には感じられたのだからきっと復帰しても仕事の楽しさ感じられるよねと言い聞かす毎日です。大学生みたい。
足尾銅山に行ってきた
期待値以下でした。
日本の輸出品の筆頭であった銅。明治20年には産出量の40%を占めていた足尾銅山。しかし、その影には公害問題が発生。田中正造による直訴で有名な足尾銅山鉱毒事件が起きる。こんなダイナミックな話なのに全然表現されていない。
足尾銅山は足尾銅山万歳で終わってるし、足尾環境センターは田中正造に全く触れない。一連のストーリーが全くない。足尾銅山にお金の資料館を作るなら足尾銅山鉱毒事件の資料館を作った方がよっぽどよい。
製錬の施設も残っているのだから公開すればいいのに。富岡製糸場がなぜか世界遺産になったのも、ちゃんと残っているからだと思う。廃墟マニアも来るだろうに。別子銅山とか三池炭坑、高島炭坑とかどんな展示をしているのか非常に気になる。公害の展示では北九州の方が何倍も上だ。
銅山のトロッコは楽しかったです。もっと長く乗っていたかったくらい。
銅山の展示はこんな感じで労働者がどんなふうに働いていたか分かるようになっています。

「足尾銅山鉱毒事件」という名前に引っ張られて、川に毒が流れて魚が死んで…という公害問題の先駆けを思い浮かべていたけど、むしろ煤煙により山が枯れて山の貯留機能がなくなったせいで洪水や土砂崩れの被害の方が深刻のように感じた。国交省が作った施設の展示の仕方のせいかもしれないけど。
思いがけず治山について学べて良かった。足尾に緑を取り戻す会?というNPOがあって植林を始めているとのこと。全くの禿山状態だったらしいけど、一部は緑があったので効果が出ていた。そういうことを目にできて良かった。しかし、禿山を日本のグランドキャニオンとして売り出すのはどうかと思います。
一度禿山になった山を再生させたり、治山の工事をしたり、多額の金と労力がかかっていることを感じた。一度失ったものを取り戻すのは大変だ。日本は維持管理費に多額の金をかけすぎだと思うけど、インフラは人命に直結するので必要だなと思いました。

この柵も治山の一環らしいです。
しかし、費用対効果の問題ですよね。極論を言えば災害が起きそうな地域に人が住んでるからいけないんだよね。足尾の山奥に住まなければいい。生活に土地が密着していて、中々新しいところに行けないと思うけど、山を固めたりする費用よりは移転費を出した方が早いし安いのでは?極論ですが。
以下、学んだことの羅列です。
足尾銅山は農夫が見つける。何で分かるんだ。
江戸幕府直轄。役人が管理するから強制力が働く。対価は米支給かな?
銭がつくられる。毎年1300tくらい。オランダや中国に輸出。輸出品として成り立つんだなぁ。銭はちゃんとした金属だからこそ価値があるんじゃね。
古河に移って生産量回復。銅の生産は機械の進化により飛躍。イノベーションですね。なぜ民間が入ると変わるのか?マインドの問題?
1234km 横だけでなく縦にも展開。東京博多間の距離らしい。掘ってダイナマイトで鉱脈までいく。そこから並行して鉱道をつくる。拡大するまでにどんだけの人が死んだのだろう。
図示したらこんな感じ。

運ぶというのも大事な観点。鉱石の運搬に立坑を開発。立坑はこんな感じ。

鉱山としては初めて原動力として水力発電、電動巻き上げ機を開発。

桐生~足尾の鉄道で運ばれる。桐生は生糸だけじゃなくて銅も運んでるんですね。


貿易が本格化し、銅の価格が値下がり。産出量も減少、、360年後、閉山。資源が少ない日本の宿命。日本人の人件費より輸入の方が安い。資源国の物価が高くなったらどうするのだろう。
銅壺の水は腐らないらしい。初めて知った。途上国で水を溜めるなら銅壺。
渡良瀬川は急。ゆえに、土砂災害が起きやすい。日本は本当に災害国家だ。
木が切られたのは製錬のため。鉱石を溶かして溶出する過程のどこに木が必要なんかね?


期待値以下でした。
日本の輸出品の筆頭であった銅。明治20年には産出量の40%を占めていた足尾銅山。しかし、その影には公害問題が発生。田中正造による直訴で有名な足尾銅山鉱毒事件が起きる。こんなダイナミックな話なのに全然表現されていない。
足尾銅山は足尾銅山万歳で終わってるし、足尾環境センターは田中正造に全く触れない。一連のストーリーが全くない。足尾銅山にお金の資料館を作るなら足尾銅山鉱毒事件の資料館を作った方がよっぽどよい。
製錬の施設も残っているのだから公開すればいいのに。富岡製糸場がなぜか世界遺産になったのも、ちゃんと残っているからだと思う。廃墟マニアも来るだろうに。別子銅山とか三池炭坑、高島炭坑とかどんな展示をしているのか非常に気になる。公害の展示では北九州の方が何倍も上だ。
銅山のトロッコは楽しかったです。もっと長く乗っていたかったくらい。
銅山の展示はこんな感じで労働者がどんなふうに働いていたか分かるようになっています。

「足尾銅山鉱毒事件」という名前に引っ張られて、川に毒が流れて魚が死んで…という公害問題の先駆けを思い浮かべていたけど、むしろ煤煙により山が枯れて山の貯留機能がなくなったせいで洪水や土砂崩れの被害の方が深刻のように感じた。国交省が作った施設の展示の仕方のせいかもしれないけど。
思いがけず治山について学べて良かった。足尾に緑を取り戻す会?というNPOがあって植林を始めているとのこと。全くの禿山状態だったらしいけど、一部は緑があったので効果が出ていた。そういうことを目にできて良かった。しかし、禿山を日本のグランドキャニオンとして売り出すのはどうかと思います。
一度禿山になった山を再生させたり、治山の工事をしたり、多額の金と労力がかかっていることを感じた。一度失ったものを取り戻すのは大変だ。日本は維持管理費に多額の金をかけすぎだと思うけど、インフラは人命に直結するので必要だなと思いました。

この柵も治山の一環らしいです。
しかし、費用対効果の問題ですよね。極論を言えば災害が起きそうな地域に人が住んでるからいけないんだよね。足尾の山奥に住まなければいい。生活に土地が密着していて、中々新しいところに行けないと思うけど、山を固めたりする費用よりは移転費を出した方が早いし安いのでは?極論ですが。
以下、学んだことの羅列です。
足尾銅山は農夫が見つける。何で分かるんだ。
江戸幕府直轄。役人が管理するから強制力が働く。対価は米支給かな?
銭がつくられる。毎年1300tくらい。オランダや中国に輸出。輸出品として成り立つんだなぁ。銭はちゃんとした金属だからこそ価値があるんじゃね。
古河に移って生産量回復。銅の生産は機械の進化により飛躍。イノベーションですね。なぜ民間が入ると変わるのか?マインドの問題?
1234km 横だけでなく縦にも展開。東京博多間の距離らしい。掘ってダイナマイトで鉱脈までいく。そこから並行して鉱道をつくる。拡大するまでにどんだけの人が死んだのだろう。
図示したらこんな感じ。

運ぶというのも大事な観点。鉱石の運搬に立坑を開発。立坑はこんな感じ。

鉱山としては初めて原動力として水力発電、電動巻き上げ機を開発。

桐生~足尾の鉄道で運ばれる。桐生は生糸だけじゃなくて銅も運んでるんですね。


貿易が本格化し、銅の価格が値下がり。産出量も減少、、360年後、閉山。資源が少ない日本の宿命。日本人の人件費より輸入の方が安い。資源国の物価が高くなったらどうするのだろう。
銅壺の水は腐らないらしい。初めて知った。途上国で水を溜めるなら銅壺。
渡良瀬川は急。ゆえに、土砂災害が起きやすい。日本は本当に災害国家だ。
木が切られたのは製錬のため。鉱石を溶かして溶出する過程のどこに木が必要なんかね?


博多から45分くらい?電車を乗り継いで太刀洗へ。駅を降りたらすぐに記念館がありました。
元々陸軍拠点として東洋一の規模であった大刀洗。特攻隊で有名な知覧はここの分校というのは有名な話。単なる飛行場ではなく、陸軍飛行学校、工場も併設。海軍機も一時飛来していた。工場を併設していたこともあって、1945年3月米軍の大空襲により壊滅的な被害を受ける。高村経人部隊長が軍指令軍の許可を得ず、教育隊の大半を疎開させていたため、5000名規模いたが、130名の犠牲で済んだとのこと。
陸軍飛行学校は陸軍から操縦士になる際には必ず通る道のようです。陸軍予科士官学校→陸軍航空士官学校→陸軍飛行学校→各航空隊基地へ配属。
『徹底図解 零戦のしくみ』新星出版社p-153
何といってもここの見どころは復元実機として残っている唯一の三二型零戦でしょう。零戦3つ目のエンジンに2つ目の機体。主として速度性能と高高度性能の向上を目指して開発された機体でしたが、速度向上がそれほどでもなく、航続距離が大幅に削減されてしまったため後続機の開発が急がれたようです。
零戦についてちょっと勉強して行ったので陸軍の飛行機の説明がほとんどでちょっと拍子抜けでした。さすがに陸軍施設なので当たり前なのですが、むしろ、なぜ陸軍施設なのに零戦がここにあるんでしょうね?陸軍マニア必見の幻の震艦?のミニチュアがあるので詳しい人にはたまらないと思います。熱心に聞いている人もいました。
九七式戦闘機も世界で唯一ここに現存しています。零戦以外は写真撮影禁止なので撮れていません。
Wikiリンク
特別攻撃隊の展示も少しあります。桜花、回天の他に剣、震洋、海龍、伏竜、蛟竜という「特別」機もあるとは初めて知りました。最初は非常時のみに使用していたのに、総力戦となると全然技能が備わっていないのは分かりながら無意味でもやるしかないんでしょうね。上の顔しか見れずに引くに引けない軍幹部の無能さが恐ろしいですね。

