1983年から5年間、会社の人事異動で焼津市にす住んでいました。静岡へ通勤していたのですが、アパートの窓から富士山が見えました。僕の人生の中で、怒涛の5年間を送りましたが、静岡市と焼津市では、微妙に温度差があったと思います。多分に風の影響があったと思います。焼津と言えば、漁業が盛んで、遠洋漁業の基地として活況を呈していました‼️
実は、静岡県では、清水港も遠洋漁業の基地でした❗️
かっては、焼津港で見かけた冷凍マグロ‼️
排他的経済水域の効力が曖昧だった頃
僕が生活していた頃、焼津は遠洋漁業が盛んで、漁業関係者がケープタウンやタスマニア島のホバートへ渡航するのを会社で手配していました。長期にわたる遠征で、交代する為に漁業関係者を送り込んでいたのでした。正に、マグロを求めて、世界中に遠洋漁業に出かけていた最盛期でした。焼津の寿司は一味違うと言われていました。また、焼津さかなセンターが完成して、帰省する時、よく立ち寄ってお土産やお正月用の魚や貝を買って帰りました。
排他的経済水域の効力発効と遠洋漁業の衰退
200海里という言葉は知っていたけれど、排他的経済水域(EEZ)は第二次世界大戦後に決められていた様ですが、実際には1989年に厳格に規制強化されました。それ以降、遠洋漁業は衰退していきました。
排他的経済水域の大きさでは、日本は世界第6位、アジアでは、インドネシアも島国という特徴から排他的経済水域は広いのです。
日本の漁業の内訳
上の図の様に、かっては遠洋漁業は大きな比重を占めていましたが、今では大幅に減少しているのが分かります。昔も今も変わらないのは、沖合漁業と沿岸漁業の割合です!
日本の漁業は、海の資源を大切にする資源が残る漁法に真剣に取り組んでいます。小さなマグロは取らないとか、漁獲高の制限をしながら、海の魚が減らない工夫をしています。そのせいで、安定的に美味しい魚が食べらるのです。それでも、日本近海では、海水温の上昇で魚の取れ高に変化が生まれたり、遠いアラスカ近海では蟹が大量に死んでしまったなど、異常事態が続いているのも確かです。それでも日本人として、美味しい魚が食べたいのです。
たまには、漁業を見直すのも必要かと思いブログに残しておきます‼️
旅のご用命は、名古屋市中村区の(株)JFFまで❗️