僕が、最終的に大学の卒業論文の対象をフリードリヒ・ヘルダーリンに絞ったのは、卒業の年でした。実は、自分が興味があったのは、近代ドイツ文学で比較的人気のあったハンス・エーリッヒ・ノサック氏でした。学生時代、辞書を片手に読んだ『遅くとも十一月には』Spätestens im November に興味を持っていました。それに彼の評論『文学という弱い立場』Die schwache Position der Literaturという彼の考え方に惹かれていました。

上はノサック氏と彼の著書

 

当時、文学を専攻する友人たちと良く文学や言葉について、語り合った記憶がありますただ、僕は基本思い込みで作家を選ぶ傾向があり、ヘルダーリンの不遇な人生、それゆえの神に近い作詩力を選択しましたそういう意味で、立原道造の詩にも長い間興味を持ち、彼の人生を綴った評論を多く勉強していました。その隣には、常に夭折した詩人・中原中也がいました。

 

 

 

  文学は本当に弱い立場なのだろうか⁉️

 

小林秀雄が、文学という弱い立場を評論を通して、確固たる立場にしていったのだと思っています。「ゆきてかへらぬ」という映画が完成されると聞いて、しかも内容が中原中也、長谷川泰子、小林秀雄という三角関係を描いたものだと分かり、道造と中也の詩に傾注していた頃の熱い思いが蘇ってきました。

中也は、その愛の破局ゆえに、あの汚れっまった悲しみを書き、小林秀雄は親友であり、才能を認めていた中也から長谷川泰子を奪った屈折した視点が後の評論に深く関係しているように思えてなりません。小林はフランス文学に傾注し、圧倒的に影響を受けたのがアルチュール・ランボーでした。彼の詩の強烈なメッセージ性に、若い小林がのめり込んで行ったのが何故か分かる気がしたものでした。彼の著書「無常ということ」などは、僕たちが大学入試を受ける時に、好んで出題されているほど難解な文章でした。本居宣長や富岡鉄斎を評論の対象とし、評論家としての立場を確立したのは、、小林秀雄の貢献による事は今では誰もが知っています。

 

 

  もっと難解なヘルダーリンの作品

 

今でも、自分の書棚に卒業論文をコピーしたものが残っています。ただ、書いた自分が読んで、おそらく赤面するほどの一見的な、言葉を変えれば盲目的に彼の稀有な生涯に囚われた内容を研究したものでした。ヘルダーリンは、一般受けする詩を残しておらず、唯一の小説ヒュペーリオンですら、神に近づく過程を描いており、ベースに哲学的発想があったと考えたのでした。彼を評価したのは、友人たちと哲学者ハイデッガーだけでした。後に、再評価されていますが、彼の人間性こそ、魅力的でした。人妻であるズセッテゴンタルト夫人に想いを寄せた事、それがゴンタルト氏に疑われ、精神的に破綻してしまうのです。人生の半分近くを狂人として幽閉されたのもヘルダーリンでした。

 

上はかって僕が買ったヘルダーリン全集、右はヘルダーリンと彼が生涯愛し続けたゴンタルト夫人、こういう画像があるというだけで、どれだけヘルダーリンの愛が永遠だったかが分かります。

 

 

全てのことには理由がある。つまり、詩人や高潔な評論家、小説家も根底には異性への愛だと思えてなりません。ただ、文学作品は過酷な環境を背景に人間の苦悩を描くことにテーマを置いていると思います。こういうテーマは、僕らしくないと思いますが、ボチボチネタ切れです💦

 

 

 

 

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