Richard Hollingshead(以下リチャード)の母親は、大柄な女性であったため、映画館の小さな座席に座るが難しかった為、彼は自宅の庭にスクリーンを張って映写機で写し、母親は車の座席に座らせたまま、映画を見させた事がシアターの始まりでした。このアイデアで、最初のドライブインシアターをリチャードは作り上げたのでした。1933年6月6日、ニュージャージーで "家族連れ大歓迎!"の広告と共に、ドライブインシアターをオープンさせました。

上は、アメリカのドライブインシアターの様子、右は沖縄に出来たドライブインシアターの様子です。コロナ禍で、見直されたのは、なんとも皮肉です❗️

 

このアイデアは、すぐさま真似され、リチャードの先見の明は、大きな儲けにはならなかったようです。全米に瞬く間に、ドライブインシアターは、広がり最盛期には、4,000を超えるシアターが出来たのでした。

 

最初は、子供達が車の中でじっとしていないことや、音声が車には聞こえにくいなど、試行錯誤していた様です。ところが、アメリカにおける映画産業は次第に隆盛し始めて、興行主は、できれば安定的に屋内の劇場に人気のある映画を配給し。ドライブインシアターには古い映画や人気のない映画ばかりが配給されたようです。そして、郊外の大きな土地を活用したがった企業が、ドライブインシアターの土地を買い漁り、徐々に衰退していったのでした。今現在は、338にまでドライブインシアターは減少したのでした!テレビの普及、レンタルビデオの普及が追い打ちをかけたようです。

 

ドライブインシアターを強く意識したのが、バーティー・ヒギンズのヒット曲・カサブランカでした。

 

 

 

映画カサブランカを見ながら、恋に落ちたで始まる 歌詞と彼のハスキーヴォイスが曲に哀愁を醸し出せています❗️後に、郷ひろみさんによってカバーされましたが、雰囲気的には原詩を踏襲しているものの、情景は全く異なっています。

 

 

 

リチャードの母親に映画を見せたいという気持ちから、生まれたドライブインシアターでしたが、広大な土地のあるアメリカならではの野外映画劇場の誕生でした。あの時代のアメリカの若者の青春の1ページに刻まれた事でしょう

 

 

 

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