30才を過ぎた頃、研修旅行でアラスカに出かけました。それまでに北回りの航空路で往復共にアンカレッジ空港に立ち寄っていたのですが、現在は、北極圏をダイレクトに飛ぶ便がすごく早く欧州に着くという事で、アンカレッジは忘れ去られています。当時は免税店で働く女性が多く、空港で働く関係者が多かったのですが、今ではすっかり忘れ去られています。

 

アラスカ鉄道と言っても、上の地図の様にアンカレッジを起点に南北に伸びる路線だけです。

          上はアラスカ鉄道の車両の様子です🚃

 

僕の記憶が曖昧なのですが、アンカレッジから列車で、1時間も経たないうちに、とある駅で下車しました。実は、写真が残っているのですが、恥ずかしいので割愛し、僕が実際見た氷河の写真を紹介します。

     海なのか、湖なのか定かでないのですが、氷河の色が青みがかっていました。

 

初めてのアラスカでしたが、もう一つ個人的に楽しみがありました。僕の竹馬の友が、昔はガイドをしていた様ですが、僕が訪れた時は、公認会計士として活躍していました。事前に、彼にコンタクトを取り、アンカレッジ最初の夜に彼がアンカレッジの夜を案内してくれました。当時、結婚していたのですが、奥さんは現地の人で、その夜は友人とボーリングに出掛けて不在だと説明してくれました。彼とは、小学校、中学、高校まで一緒でしたが、大学へ行かず、就職しました。そしてアラスカの地に、根を下ろすべく旅立ったのでした。それでも帰国すると僕の会社を訪ねてくれました。同窓会は、彼の帰国に合わせて、仲の良い友人だけで、開きました。

上は宿泊したシェラトンアンカレッジホテル、右はアンカレッジの街並みです。

 

僕が館長を勤めた施設にも来てくれ、60代は何だかんだで良く話が出来ました。コロナ禍真っ最中に甥っ子の結婚式に出る為に帰国した時に、彼の妹さんの家の近くの喫茶店で話ができました。ところが、無事結婚式が終了し、アラスカに帰って数ヶ月後に、癌が見つかり帰らぬ人となりました。呆気ない最後で、アラスカの地に眠っています。

     風格あふれるマッキンリー山は、いろんな姿を見せてくれました。

 

 

アンカレッジ経由で北回り航路の楽しみは、眼下にアメリカ最高峰のマッキンレー山が美しい姿を見せてくれることでした。嫌になる程、北回り航路を乗りましたが、アンカレッジ空港で決して美味しくないうどんを食べるともう日本に帰れると思ったものでした❗️

 

 

 

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