1988年4月15日にカンボジアのプノンペン空港へ降り立ちました前年にホーチミンまで行き、ビザが降りずに幻のカンボジアになってしまいました。翌年、再チャレンジして、夢が実現しました。当時は直行便はなく、バンコク、ホーチミン経由でチャーター機でプノンペンへ飛びました。

実は、この日、カンボジアのお正月にあたり、空港から市内レストランまで行く間、誰ひとり外出していませんでした。上のプノン寺に着いた頃、これ程人がいたのかと思うほど、あちこちから人々がお参りに集まってきて、驚きました‼️

 

もうひとつ驚いた事は、若い男性を殆ど見ることがありませんでした。長きにわたって、君臨したポルポト⬇️政権下で、国民の4分の1とも5分の1の若い男性が虐殺されたのでした。僕たちが訪れた時、ポルポトはタイ国境に逃げていて、やや平穏を取り戻してきた時でした。事実、僕らのガイドさんのご主人も学校の先生という理由だけで殺されてしまったとの事でした。

自国の民を80〜100万人を殺すという行為は、同胞のウクライナに侵攻し、民間人を殺すプーチンも同じ罪だと思います。

 

さて、プノンペンの魅力については、何度もブログに書いていますので、今回は割愛します。プノンペンからチャーター機でシェムリアップ空港へ降り立った時、猛暑で、気温45℃と言われて、空港でミネラルウォーターを買い込んで、アンコールワットへ向かいました。

余りの暑さに水を飲んでも、汗が出るどころか、すぐに乾いてしまうほどの暑さでした.ただ、乾季でもあり湿気がなかったので、木陰に入るとホッとしました。

乾季のアンコールワットは、両サイドの池も乾いていました。

 

当時は、ホテル、バス、などのインフラ事情は良くありませんでした。それでも

一生懸命にあちこち案内してくださったガイドさんのおもてなしの心には、感動した記憶があります。

 

 

 

あれから30年近く過ぎて、今やアジアで最高の観光地として、ホテルもバスも食事も、全て整ったと思います。ただ、僕の経験した乾季の4月は避けてくださいね!

 

 

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