今日は大晦日。今年最後の日。
毎年大晦日を迎えると、月日の経つのが早く感じるが、
病気をするといっそう感慨深いものがある。


復帰してから様々な人たちが私の回復ぶりに驚き、喜び、

そして再会や復活したメールのやりとりを歓迎してくれた。
本当に有難い。
病気になって失うものもたくさんあったが、
病気にならなければわからなかった貴重な経験や、再認識した尊いこともたくさんある。
できなかったことが一つ一つできるようになり、
うれしさが積み重なって、感謝につながっていき、そして自分自身を幸せへと導いてくれた。
私と同じ気持ちを、パラリンピックアスリートの佐藤真海さんが取材のときに語ってくれた。


佐藤真海さんは、100万人に一人か二人という骨肉腫に襲われ、

抗がん剤投与という壮絶な闘病生活の後に、右足を失う。
彼女に生きる希望を与えたのは、スポーツを復活させるという決意。
そのとき生涯を通じてかけがえのない存在となる義肢装具士の臼井二美男氏と出会う。
いま発売中の女性誌『スンダリ』(白夜書房)で、そのいきさつを詳しく書かせてもらったが、
取材で二人にお会いしたのは
K病院を退院してから3ヵ月後の10月末だった。


この記事は、私がギランバレーを克服して、
リハビリテーションによって社会復帰ができたという貴重な経験がなければ、
書けなかったことだろう。
闘病生活を語る佐藤さんの一つ一つの言葉に、頷き、
そして時には目頭が熱くなることもあった。


これは記事に書かなかったことだが
佐藤さんは義肢装具士の臼井さんと出会う前まで、
リハビリスタッフとの関係が希薄だったという。
“希薄”というと語弊があるかもしれないが、
彼女がリハビリにやる気を見出せなかったのは確かなようだ。
入院先の病院では、PT(理学療法士)が歩く訓練をあまり強制しなかったという。
「休んでも叱られなかった」と佐藤さん。
患者のやる気を自然に待っている、というスタンスだったのだろう。
でもそのやり方は、佐藤さんに合わなかった。
リハビリ経験者の私には何となくわかるような気がする。


佐藤さんが俄然やる気になったのは、臼井さんに習ってちゃんと歩けるようになってから。
臼井さんは義足を作るだけでなく、メンテナンスも行い、さらに歩き方まで指導する。
佐藤さんはしっくりこなかった義足を臼井さんに作り直してもらい、、
さらに歩き方まで、臼井さんに教えてもらった。
そこで彼女の中に眠っていた“もっともっと”という向上心に火がつき、
やがてアスリートへの成長へと結びついていく。


臼井さんの取材は東京都身体障害者福祉センターの訓練室から始まったが、

その時のPT顔負けのきびきびした指示が忘れられない。
とっさに私は、私のPTを思い出した。
私のPT、I先生も臼井さんと同様に、いつも訓練室いっぱいに声が響き渡る人。

拡張器なんかいらない!まさにやる気の塊だ。
二人に共通しているのは、“鬼コーチ”タイプ
このタイプは、患者に壁を乗り越えさせようと奮起させるのが、巧い!
佐藤さんと私に共通しているのは、負けず嫌いで、
鬼コーチの「さあ、次、やってみよう~」と考える暇も与えず、どんどんチャレンジさせる指導が

負けず嫌いの私達にぴったりだと思う。


私のPT、I先生のおかげで、ギランバレー重症患者だった私は
発病後、2ヶ月半で歩けるようになった。
驚異の回復力。
それは、私の努力だけではない。
指導したI先生の情熱と力量のおかげだ。
ただ、最初からI先生の指導が私に合っていたというわけではなかった。
病気に押しつぶされ、負け続けていた頃は、自暴自棄だった。
でもI先生は、時期を待ってくれた。忍耐強く。


そしてギランバレーの克服と同時に
リハビリテーションが急速に成功へと向かったのは、
I先生にやる気を奮起させてもらったために、できないことができるようになり、
感謝と感動が沸きあがったからだ。


病気克服は「生き返ること」。
そしてリハビリテーションは「生きることそのもの」。
今でもその感動を忘れない。


リハビリテーションのことは、ギランバレー克服のいきさつを書いてからのつもりだった。
(時間軸が狂ってしまってすみません)
でも今日、ここで
一年の最後に、私を社会へ復帰させてくれたリハビリ関係者達に心からお礼を言いたい。



驚異の回復といわれたのは、皆さんのお陰。
医療もリハビリテーションも、医術や技術だけでなく、医療関係者やリハビリスタッフの愛情によるもの。
皆さんの愛情に支えられて復帰でき、
そして佐藤さんと臼井さんの取材を始め、良い仕事をさせてもらいました。


K病院のPTのI先生、

そしてI先生がお休みのときにやっていただいたPTのスタッフの皆さん、
OT(作業療法士)のM先生、
ST(言語療法士)のH先生、
K病院の3人のドクター、
さらに転院先の杉並区のKリハ病院で、ドクターがこない、看護士がこない、ソーシャルワーカーは何もしない、
という医療関係者に見捨てられて打ちひしがれていたときに
たまたまK病院からやってきて外来で診察してくれたTドクター、
そしてリハビリ難民となって心身ボロボロの私を迎えてくれたS大F病院のMドクター、

さらにPTのK先生。
本当にありがとうございます。


こんなに大勢のリハビリ関係者、スタッフに支えてもらって、
社会復帰できた私は幸せです。
心から感謝します。
来年から具体的に、この感謝の気持ちを還元していくつもりです。