ギランバレーは症候群なので
症状に個人差があるということを
後になってから研修医のKドクターから教えてもらった。
ギランバレーは免疫系の病気で
末梢神経、運動神経、そして自律神経を攻撃されるのが特徴だが
「指が痺れる」など末梢神経のみだけの症状で、
知らないうちに治るという軽い人もいるらしい。
私のように発病後すぐに喉を切開して人工呼吸器をつけるほどの重症患者は、稀。
さらに
末梢神経、運動神経、そして自律神経の全てを、
大打撃されるのも珍しいとか。
病気というものは、本当に不公平だ……


どうして自分だけがこんな病気になったの?
しかもひどい重症……
どうして私だけなの?
そのことだけ、毎日毎日考えていた。


「自分だけなぜ?」
という被害者意識に囚われていた頃、病気は私を離してくれなかった。
執拗にギランバレーは、ずーっとつきまとっていた。


執着すると状況がますます悪い方向へ流れていく、ということを
これまでの人生で、
例えばオトコ問題や仕事など利害が絡むいざこさを通じて、
何度も経験していたはずだ。
欲深い私は懲りもせずに、執着すればするほど、墓穴を掘っていた。
欲深ければ深いほど、不幸な人生が待っているということを、熟知していたはずだ。


もうやめよう、やめよう…
執着を手離すたびに、体も心も楽になった。
執着の残骸は、苦い後悔だけだった…


病気も同じだった。
「なぜ私が?」
と繰り返し自問自答していたあの頃、
病気の原因に執着し続けていると、症状はどんどん悪化していった。
想像を絶するほどに。


生きている、ということは
自分が何者で、どこにいて、何をしていて、これからどう生きていこうかという
将来のプランも立てられる、ということではないだろうか?
希望もなく生きている人もいるけど
健康だったら、自分の気持ち一つで何でもできる。
例えば弱虫で卑屈でいじけていて自己嫌悪に満ちて死んだほうがましという鬱々とした日々を
ふとしたきっかけで、
昨日までの自分とがらりと変わらせることだって
できる。
健康だったら、
自分を変えられることも、可能だ。


でも病気をしたときも、自分を変えられる。
しかも劇的に。
その境地に辿り着くまで
さらなる苦しみが待っていた。



新しい病棟へ移っても
白昼夢と悪夢に苛まされていた。
それだけでなく、
予知夢といっていいほど、後の私の症状を象徴する夢を幾度となく見ることになる。


例えば左足の脛の部分に起こった麻痺。
麻痺を実感する前に
身の毛もよだつ恐ろしい予知夢が…


場所は見世物小屋。
私はその見世物小屋の今夜のハイライト、つまりトリだ。
小人やヘビ女など次々と異形たちが舞台を賑わした後で
私が登場する。
私の芸名は“桶女”。
左の足にすっぽりと嵌った桶を自由自在に操り、曲芸を施すのが今夜の演目だ。


桶の中には凍結された氷がびっしり。
氷に覆われた私の左足の神経が、まるで死んでしまったように停止している。
いつのまにか看護士たちが見世物小屋のスタッフとなって
私を舞台へと追い立てる。
早く、早く。最後はあなたよ。
看護士たちは、深紅の口紅を塗っているせいか、人肉を喰べた直後のように
唇が血の色のように染まっている。
私は怖くなって逃げる。


すると場面は一転して
今度は災害の仮避難所のようなところへ舞い込み、
畳だけの部屋で、病人だけが横になっているところへ、私も転がされた。
でも
氷が入っている桶から、左足が抜けない。
脛から、全身へどんどん凍結が広がっている感覚に襲われ、恐怖が全身を駆け抜けたときに
目が覚めた。


気が付くと
ベッドサイドでファースト主治医のIドクターが触診をしていた。
ドクターが左脛の部分を触った途端に、
麻痺していることが、はっきりとわかった。

夢は、正夢だった…