新しい病棟に移った翌日に、母が秋田から上京してきた。
その日の私の症状は最悪。
意識は相変わらず朦朧としているが
38度の高熱でしかも瞳孔が開きっぱなしのために、
目を開けると、あたりの光が点滅して目がチカチカする。
呼吸も荒く、ベッドで横になっているだけでも、全力疾走をしたときのように
呼吸数140。
夜は眠れないので、眠剤(睡眠薬)を二回も飲んでいるが、
うとうとと睡魔に襲われると、たちまち悪夢へと落下する。
その夜の悪夢は、果てしなく続く泥の井戸に曳きこまれてしまうというもので、
目が覚めても口の中に泥がつまっているような不快さが、いつまでも消えなかった。


「ギランバレーは末梢神経と運動神経と、自律神経が攻撃されます。
瞳孔が開きっぱなしになっているのは、攻撃によって自律神経のうち交感神経が発達してしまったため。

眠れないのは副交感神経と交感神経とのバランスが崩れているからです。
だから佐々木さんは、夜でも交感神経だけ発達して、まるで昼間を生きている。昼女なんですよ」
と、研修医K。
なるほど、“昼女”とは巧い例えだ。
そう感心できたのはずーっと先。病気が落ち着いた頃だった。
あの時は、ただただ暴れまくるギランバレーに押されっぱなしだった……


目が覚めると、
ベッドサイトで母とセカンド主治医であるKドクターの話声が聞こえる。
セカンド主治医の口調はいつも通り穏やかだが、その内容はかなり厳しかった。
「左足の脛など、ところどころ感覚が失われていて、身体がひどく硬直しています。

このままだと治療に一年かかり、治っても一生車椅子でしょう」
「………」
と母が何か言ったが、よく聞き取れなかった。
 それよりもセカンド主治医の言葉が何度もリフレインして響いてくる。
「治っても一生車椅子」。


セカンド主治医の説明は、さらに続く。
「瞳孔も開きっぱなしで、自律神経も攻撃されていますから、抑制する薬を飲んでもらっています。

が、自律神経の薬は副作用があって、飲み続けるのは危険です。
さらに肺だけでなく、心臓筋も攻撃されていますから、一番怖いのが不整脈。
呼吸数140と不整脈一歩手前です。このまま攻撃されていくと、いつ心臓が止まるかもしれない。

我々は、そのことを一番恐れているのです」


心臓が止まるかもしれない?
絶命するということなの?!


祈りより先に絶望がよぎったが、

再び息が荒くなってまた意識が朦朧としてきた。
容態が悪化したことに気づいた母が、

しっかりと私の手を握り締めた。