GW前からPT(足の訓練士)のI先生から
「今日は何日かわかりますか?」
と手足を痛いくらい伸ばされながら質問された。
その頃も意識が朦朧としていて、白昼夢もよく見ていた。
一日が始まって、一日が終わる、ということだけはわかった。
でも時々、一種の記憶喪失にかかったように
ここがどこなのかよくわからなくなることもある。
後で強い薬の副作用だということを知らされるが、
その頃はただただ、人工呼吸器に頼りながらでも
息をしているだけで精一杯だった。


I先生はGWスタートの前日に静かに語りかけた。
「佐々木さんを僕達は何とかしてサポートしたいけど
佐々木さんがそれに応えるような感じではなくて、
僕達はどうしたらいいかと思案しているのです」。


リハビリの訓練士たちが頑張ってくれているのは、よくわかっていた。
でも
病気は悪化したまま、医療関係者からナースコールを規制されて
生きる希望もなく
輪廻転生ばかり夢見ている私にとって
リハビリのスタッフの頑張りに応えてあげられる気力が、全く沸いてこなかった。


「ごめんなさい、I先生……」
口がいけない私は、心の中で呟いた。
生きる気力を失ったときに、人の善意や誠意に対して
ただただ謝るだけしかない、ということをこのとき私は知った。



病棟を移ることを告げたのはOドクターだった。
「以前から大部屋希望だったね。ここは個室しか空きがなくて希望に添えなかったけど
新しい病棟の大部屋にベッドの空きが出たから、そこへ移りましょう」。
移動はGW明けの5/7。
主治医も看護士も、医療関係者の全てが全部変わる。
つまり、入院環境が変わってしまう。
「最後まで僕が診ることができなくて、残念だけど」
O先生の言葉は心に響いた。
でもその一方で
どっちでもいいや、という気持ちがぼんやりと浮かんだことを、覚えている。
病気は相変わらず重くて、出口が見えない暗闇を手探りで歩き続けているような毎日だったから。


その夜、担当の看護士さんが励ましてくれた。
「良くなって歩けるようになったら、ここの古いトイレじゃなくて、新しい病棟のトイレのほうがずっと気分がいいわよ」。
私は首を横に振った。
歩けるようになるなど、想像もできなかった。
絶望感でいっぱいのときは、感謝の気持ちも何ももてない。
ただただ、なされるままを受け入れるしかなかった。


病棟移動の当日。
病棟のベッドから移動ベッドに移った私は、古い病棟から新しい病棟へと運ばれた。
古い病棟を離れるときに、耳元でFという看護士が呟いた。
「不安かもしれないけど、新しい病棟のほうがゆっくり治療に専念できるわよ」。
私ははっとなった。
天平時代の美人画そっくりのふくよかなF看護士は
私がナースコールの規制で苦しんでいたことを
知っていたのだ。
「ありがとう」。
私は久しぶりに、感謝の言葉を心の中で呟いた。



さようなら、古い病棟。
そして、新しい病棟へ。


私は輪廻転生の夢の光ではなく
現実の光を見出した。
新しい病棟で出会ったKドクターが、私を精神的に救ってくれたのだ。
そこから世界が一変した。