患者にとって救急の連絡がナースコール。
身体の動かない私にとって、看護士にやっていただかないと、何もできない。生きていけない。
だから命綱のようなものだ。


体位変換をしても、身体が痛い。また変換してほしい。
身体を支える道具であるリネンが怖い。
痰をとってもらいたい。放置しておくと、溺れたような気分に陥る。
汗がひどい。拭いてほしい。
寝巻きがまくれてしまって、さらされた部分が寒い。直してほしい。
腰が痛い。枕の位置を変えてほしい。
口がきけないから、訴えられない……どう伝えたらいいかわからない。


このような状態で、私は触れるだけで看護士を呼び出すナースコールに
訴え続けた。
でも
ある日突然、クレームがやってきた。
それも思いがけない形で。


入院患者や家族の中には
婦長が誰かを知らない人もいる。
実は私も、古い病棟にいたときは、誰なのか知らなかった。
振り返ってみると、あの人が婦長なのか、それとも一看護士なのか
今でもよくわからない。
でもドクターに絶大な力を持っていたことは、確かなような気がする。


私の病室はナースステーションに近かったため
看護士やドクターの話し声も聴こえてくる。
その夜は、ある主治医の当直だった。
看護士らと話が弾んでいるとみえて、先生の声のトーンが高くなっている。
私は身体が痛いと
ナースコールを押した。
その直後に、痰で苦しくなって、吸引をお願いとナースコール。
また発汗がひどくて顔の汗をふき取ってもらいたいと
ナースコール。
3回ぐらい続いた後だろうか。
その体格の良い看護士が主治医を連れてきたのだ。


主治医は3人で、一人はGICUからの主治医O、そしてあまりこないけど腰の低い年輩のドクター、

そしてもう一人、看護士とやってきた主治医。


看護士は私の前でこう言ったのだ。
「佐々木さんはナースコールを押し過ぎです。先生からも言ってください」。
その主治医は、看護士の言われたままを、そのまま言った。信じられないことだが。
「押し過ぎないように」。
言わされたという感じだった。


悲しみが私の心をゆっくりと支配していった。
医療関係者から押し過ぎるな、と言われても
必要だから助けを求めるのではないか?
しかも
看護士が直接言うのではなく、主治医を巻き込んで押すな!
とはどういうことなのだろう。
ドクターもドクターだ。
患者の病気の治療に専念するはずなのに、どうして彼女の言いなりになるのか?
その看護士に特別な権力でもあるのか、弱みを握られているのか…
主治医に対する不信がゆっくりと広がっていった。
そして
言葉にならない悲しみが大きく渦巻いていった。


さらに。
翌日、もう一人の主治医Oと共に私を診察したときに
その主治医はOの前でも再び繰り返したのだ。
「ナースコールの押し過ぎだ。精神的に不安定になっているせいだと思うけど、
押し過ぎないように」
突然のことに、O主治医も当惑していた。
私は当惑も悲しみも超えてしまって
絶望の淵へと立たされた……