GICUから古い病棟の神経内科へ。
前回も書いたが、口もきけない、身体も動かない私を
Eさんという看護士が一人の人間として、接してくれた。
でもEさんは稀で

看護士さんの中には、一言も話しかけることもなく、義務的に世話をする人も多かった。


口がきけないから、話しかけても無駄ね。
無言で語る看護士たち。
とても寂しかった。
手厚い看護を求めるのは、患者だったら、誰でもそう。
でも医療関係者と患者との間には大きな谷間がある。


入院中に
患者達から教わったことは
患者は何でも知っている、ということ。
ドクターの有能さはもちろん、人間性までも。
そして看護士のホスピタリティ、
さらに医療に対する病院側の姿勢は、象徴している婦長から。
患者は医療関係者のことを隅々まで鑑定する。
そして概ね、その鑑定は間違っていない。
良医はどんな患者から見ても良医、看護士もそう。
変な人だなあ、と感じていると
「あの看護士はね…」
と聞かなくても、患者の私の耳元でそっと囁く患者もいた。


患者はホスピタリティを全身で求めているから
医療関係者の一挙一動に敏感になり、相手の事を見抜けるのだと思っていた。
でも
他にも理由があると思う。


患者は弱者だから、視野が広くなる。
自分が患者になって、初めてそのことに気づいた。
例えば、下のものが上を見上げるときと
上のものが下を見下ろす場合とでは、見え方が全く違う。
下から上を仰いだときに、視野は限りなく広がっていく。
空気も匂いも、感覚で感られることの全てを、感じながら。
でも上から下を見下ろした場合、視点は一点になることだってある。
本当は広角180度の視野なのに
見なくてもいいと決め付けてしまったりするから。
反対に、全ての感覚で広角180度を見上げるから、
弱者の視野は広くなる。
だから
患者は何でも知っている。


そのことを、医療関係者に言わないだけ。

いえ、言えないのだ。

だって、見捨てられてしまったら

命も身体もこの地上に留まっていられないから。

患者はいつでもまな板の鯉状態……



病気のことももちろん
ホスピタリティに対して不安を抱えながら
動けない身体で、個室で一人過ごす日々…
やがてその不安が現実のものとなって
私の入院環境は、四面楚歌へと向かっていった。