最近忙しくてブログも1週間お休み(__)
マスコミの世界では、お盆と正月に印刷屋が休んでしまうので
その分進行が早くなる。
この時期はいわゆる“年末進行”。
私の場合は少し早くなったみたい。


忙しいなあ~と思っていたら
昨夜は左の指先が痺れた…
しかもミッドナイトに。またもや。たった一人の時に。
ギラン・バレーの前兆が左指先の痺れだったから
また病気で苦しんだあの頃を思い出してしまった……


人によっては後遺症が残るといわれているが
症状もまちまちだという。
以前、膠原病を患っていた友達のS美さんが
「最初の兆候が後になってもずーっと引きずったり
最後までそれが残ってしまうこともあるよ」
と教えてくれた。
退院してから、時々ふいに左指が痺れ、
先月などは、それが3~4日ぐらい続いた。
痺れには薬も対処法もないと
病棟時代にわかったので
神経内科で診察を受けたところで
無駄と知る。悲しいことにね。


でも痺れがやってくるたびに、はやり漠然とした不安が襲ってくる。
この先も
疲れたりストレスがたまったりすると
左指の痺れが起こるのだろうか?

ひょっとしたら再発するの?


「ギラン・バレーはよくわからない病気です」
といったのは
神経内科のK先生だ。
本当は病気のことをよく知っているけど
「わからない」という患者の気持ちを
すくってくれたかもしれない。
彼は研修医だがとても優秀で、
権威を嫌うところなど、とても親しみやすく
また患者の心を開かせるのもうまかった。
病気を克服できたのは
周囲の人たちのおかげだと思っているが
彼はその中でも“最重要人物”!
(そのことは、あとで伝えますネ☆)
「先生がわからないことを、私が考えてもわからないよね」
病棟時代は、そう言って気を紛らわしていたが
今は誰もいない。


でも身体が動かなかった私が、こうしてパソコンに向き合って
ブログを書けるようになったのだから
そのことを神様に感謝して、
発信続けようと思う。



4/7にギラン・バレーで倒れてGICUで2週間。
その後、古い病棟にある内科へ。
3人部屋がふさがっていると言われて
個室へ入れられた。
そこは昔、結核患者が療養していたというだだっ広いところ。
冷蔵庫もソファもテレビも整理棚もあるが
身体の動かない私は個室の設備など関係なく
一日中ただただ悪夢にうなされていた。


身体が動かないだけでなく、38度前後の高熱が続いた。
喉を切開して自分の胸幅よりも大きな人工呼吸器をつけられたままで
しかも痰がつまると苦しい。
水にゴボゴボと沈んでいくような気分だ。
さらにとってもらう時も、看護士によっては乱暴に吸い上げることもあるので
喉が血だらけになることもある。

口も利けず
コンタクトも眼鏡もない当時の私は視力も0.1以下。
まさに
「オ○・○クラ」の二重苦。
重度の障害者だった。


特に私を苦しめたのは
夜も昼も繰り返される悪夢…悪夢…


ジャズの名曲に『Night and Day』というのがある。
♪夜も昼もあなたのことを慕っています♪
という愛の曲だったと思う。
でもこのジャズの名曲と、当時の私は何とかけ離れていたのだろう。
自分の力ではどうすることもできない苦しくて辛いだけのことが
当時の私の『Night and Day』。
うとうとしても
ギラン・バレーの悪夢は私を放さない。
ふいに誰かが訪ねてきて、その瞬間ふっと悪夢が離れても
たちまち私は囚われの身となる。
悪夢…悪夢…悪夢…だけの『Night and Day』。


悪夢は繰り返し複数の同じ場所を選び
そして結末はいつも同じだ。


例えば
白いスクリーンだけが置かれている小さな部屋のソファに
私一人だけ座っている。
スクリーンには何も映っていないし、映写機の音の気配すら、ない。
いつのまにか私の両手はソファのすき間に入ってしまい
両手が引きこまれて
ずぶずぶと身体が沈みそうになる。
引き抜こうとするが、力が入らない。
身体が動かないのだ!
助けを呼ぼうとしても声もでない。
いつのまにか喉を切開して人工呼吸器をつけているから
叫ぶこともできない。
身体はずぶずぶずぶと引きこまれて、
底なし沼に入り込んでいくような恐怖感でいっぱいになる…
「助けて~」
それも、言葉にならない。


そう、いつも身体が動かない、という結末で目が覚める。


これはひょっとして
発病の時の「身体が動かない」というあの恐怖を
繰り返し夢という無意識の中で思い出しているのではないか?


あの時は恐怖感を押し殺して
救急車を呼ばなくてはという理性が勝っていた。


でも恐怖は私を忘れなかった。
私の無意識の中で主張しているのだ。
忘れてはいけない。
この病気の恐怖を。
あなたを支配しているのは、
ギラン・バレーなのよ、と。
だから連日連夜繰り返し私を捕らえて放さなかった。
『Night and Day』。
あなたは病気の恐怖に囚われているのよ、と。
繰り返し、繰り返し。
『Night and Day』。


死ぬよりも辛くて苦しいあの恐怖。

それを通じて
私はあることに気づいた。


事件の犯人のことを
「なぜあの人が?」
と証言者達は口々に驚きを述べる。
犯人すらわからない動機を
「心の闇」と
著名なコメンテーターが発言する。
だから人はわからないという結論で
ワイドショーは締めくくる。
でもひょっとしたら
人間の無意識の領域に潜んでいる恐怖感が
犯罪の原動力になっているのではないだろうか?


忘れてはいけない。あの恐怖を。
犯人は無意識にその恐怖感をキャッチして、そして犯行に及ぶ。
トラウマや精神疾患も
ひょっとしたら、恐怖がもたらした後遺症かもしれない。


恐怖。
これを侮ってはいけないと思う。


人がホラー小説やホラー映画に惹かれるのは
エロティシズムの虜になるのと同じように
生の根源に根ざしているからではないだろうか。

恐怖は私達の生の根源に根付いている。


そのことを

ギラン・バレーの悪夢は

私に教えてくれた。

『Night and Day』

あの頃、繰り返しながら。