ここで閑話休題。

散り桜の頃

朝起きたら突然体が動かなくなり

搬送先の病院でERへ運び込まれ、

病名が判明したと思ったら

いきなり喉を切開されて人工呼吸器。

ギラン・バレーという10万人に一人の難病になったことも

死亡率約5%という病気から生還したことも

まだ記憶に新しいが

何が何だかわからないよ!私の運命!

それが

当時の私の率直な感想だ。

もともと病気や病院に縁がなかった。

縁など断ち切ってしまおうと思っていた。

というのは

6年前に他界した父は、昔から病院の常連客、常連な病人。

私が物心ついたときから

父は3年ぐらいの周期で、胃潰瘍を患って入院した。

そして

他界する10年間は神経を病み、病院で寝たきりの生活を続けていた。

生きるということは、ただ生きているだけでいいはずなどない。

生きがいもやりがいも生きる気力も失って

死んでいたのも同然に、ベッドで10年も生きながら家族を苦しめ続けてた父を見ているうちに

絶対父のようになりたくない、と病気そのものもシャットアウトしてきた私。

一番近い身内から“命”や“生きること”を教えられていたのに

私は敢えて、父が与えてくれたメッセージに背を向けていた。

しかも「拒否」という強固な姿勢で臨み、自分は強靭だと錯覚していた。

“あなたのように、私はなりません。私はいつも元気です”と。

身体には自信があった。

風邪をひかない年もあり、常に“元気”と自分に言い聞かせていた。

今まで大きな病気もなかったのは、身体が丈夫なだけでなく

父のようになりたくない、という気力が大きかったからだと思う。

これまで感謝の意を惜しまなかったドクターというのは

複数の医師から見放された私の子宮筋腫を実績に基づいた分析と冷静な判断、そして優れたメスさばきで救ってくれた婦人科の良医、

そして悪化した左足の火傷を完治させてくれた形成外科のドクターなど

考えてみたら、“命”そのものに差しさわりのない分野だった。

初めて

ギラン・バレーという10万人に一人の難病で、しかもいきなり重態

となった私は

GICUからのO主治医との出会いで

ドクターの価値というものが

大きく変わったような気がする。


これまでドクターは、医療技術の提供者だった。

でも

ドクターもホスピタリティを施してくれるものだということが

心底わかった。

Oドクターは喉を切開して人工呼吸器をつける直前に、私の親友や仕事先に電話をしてくれ、

看護士や看護助手が施してくれるようなホスピタリティを与えてくれた。

しかも

どんどん容態が悪化したときも、常に冷静で、温かく私を見守ってくれた。

自分の運命がどこか人事のように感じられたのは

(恐怖や悲しみでいっぱいにならなかったという意味で)

Oドクターがそばにいてくれたおかげだと思う。

身内や愛する人が誰もいないGICUで迎えた長い夜を

過ごせたことも

一命を取りとめることができたのも

ドクターに私の運命を預けてもいいと本能的に感じ、

信頼したからだろう。

昔から医者は特権階級といわれている。

いわれてみれば

医者の前では、患者はまな板の鯉状態。

医療の世界では

患者が命や身体を預けるところに、医術や心がある。

病気は与えてもらわなければ

治らない。

だから患者は常にハングリーだ。

それを知っているドクターと無関心なドクターとでは

トクターそのものの価値に

大きな差があると思う。

でもどんな世界でも与えられる人間にだけ、特権がある。

医療の世界も同じ。

そう思いませんか?

ねえ、ドクター!