4/7 午後


救急隊員の粘りでやっと搬送先が決まり、K病院の救急外来へと担ぎ込まれた私。

そこでの光景を見た瞬間

「テレビのERみたい!」と軽率にも、喜んでしまった。

ずらりと並ぶベッド、点滴台、カテーテル、あわただしく走り回る医療関係者達、ざわついた空気、ほこりが舞うだだっ広い空間、まるで難民キャンプに紛れ込んだような……

まさにテレビドラマの「ER」! ドラマのセットに入り込んだみたい♪

身体が突然動かなくなったという前代未聞の出来事に遭遇したため

ひょっとしたら人生最大の危機かもしれないという

不安と恐れで頭の中はパニック。

でもその一方で

まるで自分がテレビドラマのセットの中に入り込んで

ドラマの重要な役をこれから演じるかもしれないという高揚感に包まれていた。

何て事だろう!

私ってひょっとしておバカキャラなの? それともあきれるほどのミーハーなの?

自問自答している暇もなく、ドクターがやってきた。

小柄で赤ら顔、皺の一つ一つにエネルギッジュさがにじみ出ている。年輩のドクターだが、仕草も言い方もパワフルで若々しい。

名前が思い出せないけど、「ER」のあの俳優に似ている!

とまたテレビドラマのことを思っていると

今度は30代ぐらいのの内科のドクターがやってきた。

彼は眼鏡をかけた和製トム・ハンクスといっていいだろう。

年輩ドクターと比較して、仕草もおっとりとしている。優雅といってもいい。

性格もキャラも正反対のドクターが、交互に私の症状を聞いて議論しているのだ!

まさにドラマの中のような出来事。

これが現実なのか、それともドラマという虚構の中にワープしてしまったのか、

だんだん、わからなくなってくる……

いま振り返ってあのときの私の状況を分析してみると

想像を絶するようなアンビリーバブルな状況に対して

理性で自分自身を抑えようとしていた。

でも「ER」というテレビドラマのセットそっくりの救急外来に運び込まれた瞬間に

現実から虚構の世界へスイッチが入ってしまった。

現実を受け入れるのが怖かったから、現実逃避が噴出したのだろうか?

また別の見方も可能だ。

不安と恐怖が入り混じっている極限の状況の中で

自分がテレビドラマのセットに入り込んで

そこで重要な役柄を演じるという妄想は

自己顕示欲の強い現れといってもいいかもしれない。

昔観た日本映画で、タイトルは忘れてしまったが(監督は高橋伴明?)、

人質をとった殺人犯を説得するために(犯人役は宇崎竜童?)、

警察に連行された犯人の母親が

テレビの中継車を見た途端に

「ちょっと待って」

と部屋へ戻って化粧を施すシーンがある。(母親役は渡辺美佐子?)

ブラウン管を通じて、大勢の日本人に「殺人犯の母親」と後ろ指をさされるのは“最悪”なのだが

同時に生涯でたった一度の“女優”のチャンスが巡ってきたのだ。


映画で観た殺人犯の母親の自己顕示欲は

救急外来に運びこまれた私の心境にぴったりだ。

人はどんな極限状態でも、自己顕示欲を忘れない生き物ではないだろうか?

極限がますます極まるほど、より強くなっていくのでは?

極限状況では自分自身の存在が薄れていくため

生きているということを強く確認したいと、自己顕示力が顕著になっていくような気がする。

再び、元のERに戻ってみよう。

病名がわからないまま、ドクター達の質問と議論が私のベッドの周りで繰り広げられた。

そのとき眼鏡をかけた和製トム・ハンクスのドクターが、驚くような発言をした。

それはまさに、ウルトラC級並みの診断だった。