漫画原作のドラマ化について、原作者がXにポストしたことで、界隈が騒がしい。
 


ベストセラー小説家の東野圭吾氏のように、映像化について内容の付け足しや原作との多少の齟齬について寛容な作家さんもいる場合は映像化する側もたいへんやりやすいのだろう。(だから東野作品は映像化されやすいともいえるのかも)
私も好きな東野作品が映像化されるとつい見たくなるし、原作者がそういうスタンスなのは理解しているので、多少原作とかけ離れたストーリーになっていても「これはこれ」というおだやかな気持ちで鑑賞できる。(結果的に「ああ、これ無理」になってもそれは映像作品に対するもので、原作に対する気持ちは変わらない)



本を読まない人には伝わりづらいだろうが、小説好きにとっては、自分が小説を深く読み取り、そして描いた世界観は「宝」である。喜び、悲しみ、憤りなど、その作品を読んだときの感情は常に自分自身を形成していく糧となる。そしてそんな糧を与えてくれた原作者に感謝もする。
漫画が好きな人も同じだろう。
 

たとえば、私は「スラムダンク」は漫画派(連載からずっと読んでるし、単行本は全巻持っている)で、テレビアニメはそれほど見ていない。なんかちょっと違うから(笑)。でも許せないほどではなく、映画化作品について躊躇しすぎて観なかったのだが、いつか見てみたい気持ちはある。

 

わたし自身、映像作品も好きなので、ジャンル関係なく少なくない数の作品は見ているが、「心に深く残る」と言えば圧倒的に「観た」ものよりも「読んだ」ものが多い。時間をかけ、自分の読解力をフル稼働させて自分の中に落とし込んだ作品の方が深く心に刻まれるのは当然だろう。

 

マンガでも小説でも、原作には相応の数のファンがいて、その人それぞれの頭の中ですでに映像や世界ができているものだから、それをあらためて制作サイドの考える一つの映像にまとめるのはとても難しいチャレンジだ。だからこそ読者が得てきた原作の世界観をぶち壊す二次作品など許せない気持ちになる。


当然、原作者も「作品の中で自分が大切にしたいこと」をないがしろにされると、心がつぶれそうになるのだろうこともとても理解できる。

 

今回のことについては人気脚本家の尊大さなど(該当インスタも読んだが、確かにケンカ腰と揶揄されてもしかたない書きよう・笑)も言われているが、やはり多くの方が言うように制作者側責任者Pの非であるとわたしも思うのだ。

 

人気のある作品だから。
人気作家の作品だから。
そのキャラクターを使えばかなりの集客が見込めて沈没することはないだろうから。
そういった感覚で実写化作品は作られていることが多いとシロウトながらに考えている。
 

そのときに作者の意向を尊重すること、その作品のファンの気持ちを想像すること、それを忘れずにいてほしい。

ならば、それを入り口としてその原作と作家の他の作品に興味を持つ人がさらに増えればいいのだから。