以前から気になっていた作品。
僕自身の就職活動の記憶、大学時代の記憶を思い起こしながら見た。
この作品はハッピーエンドなんだかバッドエンドなんだが判断しづらい。
主人公の状況や環境が良好になる方向には向かわなかったと思うがそれでも精神的には成長したといえるエンディングだったのかなとは思う。
なんらかの希望を持てる(主人公自身、視聴者に対しても)エンディングだったのだろう。
ラスト付近で主人公が就活2年目であることやTwitterの裏アカウントにて友人含む周りの人間に対する悪意をもったツイートをしていたことが明かになり主人公の影なる部分を露呈させていたが、これがどんでん返し的な意味合いのものだとしたら少し拍子抜けだった。
主人公はやたらと他人を分析したがる性分で客観的に物事を評価することに友人達からもある程度の信頼を受けているような人物だった。
この作品を見て特に感銘を受けたのは主人公の発した「頭の中にあるうちはなんだって傑作なんだよ」というセリフ。
この言葉は個人的に凄く身に覚えがあるので耳が痛いセリフだった。
何事も他人からの評価を受け入れないことには本物の評価にならないと思う。
けどこの言葉も単純ではない。
他己評価であればなんでも良いわけではない。
仲の良い友人、学校の先輩あるいは後輩、会社の同僚、上司、家族などと自身との関係性における評価の妥当性って一体どれだけ信用して良いものだろうか?
何のバイアスもかからない見たことも接したこともないような人間からの評価こそが本物なのではないかと思う。
しかしそれも絶対的ではない気がする。
何のバイアスもかからないなんてことはあり得ないのではないか?
だからこそ本当に正しい評価なんてものはない。正解の無い問題に正解を見いだそうとするのは時間の無駄である。
であればやはり一人でも多くの人間に評価してもらいそれを絶対的なものであると信頼するしかない。
まあその一人でも多くの人間に評価してもらうということの難しさというのは途方もないものなのだが。
この作品の中で内定祝賀会が何度か催されていたが単純に楽しそうだなと思いながら見た。
僕もそういうのやりたかったなと思う。
そして僕自信の大学時代が灰色のものだったなと改めて思い知らされた気がしてなんともむなしい気持ちになった。
しかしこのシーンを見て思ったのは内定ってそこまで嬉しいものだったかなということ。
僕自身、内定をもらったときよりも大学に受かったときの喜びの方が遥かに勝っていた。
けどこれって当たり前なのかもしれないなと思う。
大学は希望に満ちている感じがするが就職は希望に満ちているといえるだろうか?
大学合格の嬉しさってまさしく希望によるものだと思うが内定もらう嬉しさって単なる安心でしかないのではないか?
だからこそ喜びの度合いは全く違う別次元のものだと思える。
この作品には「何者」というタイトルに引かれたのかもしれないと思う。
僕は「何者か」になりたいという願望が少しある。
「何者か」っていうのはお互いの存在をそれぞれ認識する余地も無かったような赤の他人にも存在を認識されるような人間になりたいということである。
例えばスポーツ選手、タレント、文化人、配信者、宝くじ当選者、知る人ぞ知る隠れた名店の料理人のような。
この作品の主人公は就活が一向にうまくいかず他人を穿った目線で評価することしか出来ない誰からも必要とされない人間という風に思い込んでいた。
だからこそ何者にもなれない劣等感、自分でも自分を見いだすことが出来ないことに対する自己嫌悪、実態のない神のような視点で他人を評価することの優越感、このアカウント名をつけたのだと僕は思う。
そういう意味でこの作品は僕自身と親和性があったと感じる。
最後に菅田将暉、岡田将生、山田孝之と僕の好きな俳優が勢揃いだったのが非常によかった。