風化させない東日本大震災    ~知られない家族の出来事~ | 1級フードアナリストMasaki

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一流シェフじゃなくても、理屈抜きでお母さんや妻の味が一番だったりする。
命をいただく。感謝と敬いの心を忘れない。
FOOD・A Masakiが日々の中で、食文化、食空間、お客様とお店の通う想い。を何気なく紹介。
楽しく食べたい人と、ガンバル飲食業界を応援。

私が、ある放送局から取材を受け、その関連で差し上げた内容を、ブログに記載致しました。

東日本大震災のあったあの日の出来事を切り抜いたような内容です。
ライティングのプロではないので、万人ウケする内容かは考えずありのままを書きました。

台風12号など様々な災害や、時間と共に世間から薄らいで行く日常からの記憶。
今一度、起きたことを思い起こし、過去の出来事でなく、風化させてはいけない今も続いている現実であることを認識いただける場になればとお思い、ブログに掲載することを決めました。




○○さま、こんにちは。
メールを確認致しました。

当時の出来事と、心境をお知らせしますね。


あの日、地震に違和感を感じてiPhoneですね。撮影を始めました。

私の居るオフィスは、ビル街での高層階。
この場合、災害時は、急いで外へ出る事はしません。
拙速な行動は、身の危険度を高めてしまうからです。

エレベーターに箱詰めになったら、それこそ、要救助者になってしまいます。
非常階段では、揺れで転落したら、正に命取りです。

むしろ、こうした録画が、残ることで飛行機事故もそうですが、何かしらのメッセージや、解決手段に役立つモノです。

動画の中では、恐がりたくないので戯けたコトを言ってますが、
災害程度によっては、家族への遺言になるのかな?頭に過ぎりました。

地震がおさまった後、外出しているスタッフの安否を確認。瞬く間に時間は過ぎてゆきました。


この時、妻と息子に連絡が取れましたが、妻は神田で震災に遭遇していました。

その後、オフィスのエレベーターが動き、タワーパーキングの稼動出来る事を知り、
忘れません。社員と共に19時に渋谷道玄坂を社有車で、妻のいる神田に向けて走り出しました。
帰宅困難者を脇目に霞ヶ関を抜けるルートで神田に着いたのは22時。ひたすら歩みを進める人たちと、行き場を失い開いているお店に身を寄せる人々で街は埋め尽くされていました。歩行者の歩く速度の方が早い時もあるくらいクルマはなかなか進みません。その間、路上を歩く帰宅困難者の姿は、ほとんど途切れることはありませんでした。


睡魔と闘いながら、クルマが自宅に辿り着いたのは明け方の4時。


帰宅すると、息子がリビングの床に愛犬と添い寝。息子の浅い眠りの寝顔は心細さと疲労に滲んだものでした。私達の気配に直ぐに目を覚まします。


『…なぜ、こんな時に一緒に居られなかったんだ』と自分悔やむ声。


とにかく震災が起きてから13時間後、初めて家族が揃いました。




大事な家族が一人として掛ける事無く会えたことに安堵と、家族の無事の有り難さを噛み締めた気持ちは、今も思い起こせば昨日の出来事の様に、心に蘇ります。





家族が揃う有り難さ。
実感できる出来事があったからこそ、被災地の犠牲者の気持ちが私の心に響いてきます。何でもない日常の当たり前が…その時を境に奪われた計り知れない現実。

お声掛けのしようがありません。

一日一日が復興に向けて進む日々でありますように。