今回、垣間見た脆弱さとは、交通網に限った事ではなく、生活全般に対してです。
結論から言うと、メディアリテラシー。
メディアの過剰報道だけでなく、我々も情報を読み解き、判断、選択する事を大切にしてみましょう。というもの。
今も、私の携帯は、通話が出来ません。
携帯同士は、完全に不通です。
通話先や、時間帯のもよるのかな?
本日は計画停電という情報により、自宅勤務と相成りました。
会社に届くFAX以外は最低限の仕事環境を整えることが出来ます。
というよりも、ここで伝えたいのは、結局停電が無かったという事実。そして、その情報一つで状況が一変してしまう現代人の生活。
情報元が行政なだけに影響力がありましたね。
停電の影響で電車の運行が見合わせになる。→帰れない。→出社に及ばず。
仕方の無い時もあります。しかし、なし崩し的だからブーイングされます。
昨日も近所のスーパーからは、お米・豆腐・パンが消え、野菜は、疎(まば)らです。萎びた野菜(かぶ)もこの時ばかりは陳列されています。というより、ありがたいです。
今日は昨日の様な買いそびれをしないように別のスーパーにも足を運びました。結果は、
…ありません。何が…ではなく無いんです。
お米もありませんでした。
スーパーで食品が消えるのも情報による社会の脆弱さの一つだと思います。購入出来ない人が出来る程、本当に買いだめが必要でしょうか?… モノにもよるでしょう。
この日は、スーパーで何も入っていない買い物かごをカーゴで押すご高齢者がいらっしゃいました。(売り切れのお米売り場にて)
『お米、無いですね』と、私。
『困りましたね』と、ご高齢者。まさに買いそびれです。
必要以上の反応(?)により、生活に支障を来す。情報の犠牲者と言えるかもしれません。
夕方、妻を勤め先にクルマで迎えに行く道中での渋滞が都合3回。
どれも、渋滞の先頭は、ガソリンスタンド。自家用車の列が何十メートル以上もの渋滞を発生させていました。本当に今、給油しなければいけないですか?毎月1・2回の給油が通勤で使っている方々も居るでしょうし、安心したい。というのもあるでしょう。メディアでガソリンスタンドの列の報道。
需要と供給のバランスが崩れると価値変動を引き起こし易くなり、結果的に自分に帰ってきます。
インフラと、情報
